Grim Saga Project

07. 狭間

 
 
 
"お客様方は、おそらくグリムの器に精通されているのでしょう。"
あまりにも急に言われてきょとんとした。
そうか。
器が関係しているんだ。
言われてものすごく納得して、唐突にやっぱりな、という感覚に襲われる。
意味もわからず少し身震いした。
 
"で、あるならば。器のことを知っている男性もご存知ではないでしょうか。もちろん答えなくて結構でございます。私の勝手な独り言ですので。その男性はよくこちらに通われておりますが、彼自身も望んでは来れないのだそうです。その彼が唯一、私が来店回数を覚えていない、それほどに来られているお客様でございます。"
覚えていない、というのが何回ぐらいなのか、という会話からは自然に生まれそうな疑問が吹き飛んでしまうような紳士の言葉。
 
目の前のXがどうしてそんな顔ができるのだろうという、形容しがたい、感情を読み取り切れない美しさを醸し出した。
もちろん淡い期待を寄せた彼のことを思い出したからなのだけれど、彼女のその微笑んでいるとも呆然としているとも見分けのつかない不思議な表情は、それだけで私が今日ここに来た価値が十分にあったのだと思わせるほどに魅力的だった。
私は何も言えなくなった。
どれほどの静止した時が流れたのかも最早わからない。
刹那の永遠、というロマンティックで矛盾した表現が脳裏をよぎる。
 
紳士はおそらく私もXも、その男性のことを知っていることがわかっていて、嘘をつかずに答えてくれた。
そんな気がしたけれど、根拠を明確に表現する方法を私は知らない。
そもそもそんな根拠はないのかもしれない。
なんて甘美な時間。
得難い貴重な時を過ごしたが、逆にこの瞬間を愛おしく永遠に感じたくなると、終わりを迎える。
世の中はそんな意地悪に満ちている。
 
"コーヒー、今までで一番美味しかった。ごちそうさまでした。"
Xがすっと席を立った。
またね、と小さく呟いたその仕草すらまるで異世界の産物ではないかと真剣に考えてしまうほどに見惚れた。
私は、その微かな声に、同じくまたねと返したつもりだったのだけれど、Xはとっくにいなくなっていた。
呆けていたのだと思う。
魔法だろうか。
 
純白でおしとやかなカップには、まだ半分ほど琥珀色の液体が残っていて、しかも熱い。
こんなにも長く感じる一瞬がたくさん訪れる機会など二度とないのではないかと思うほど。
本当に美味しい。
一口、また一口とコーヒーをすすり、カップを空にして私も立ち上がった。
ちゃんと立ち上がれただろうか。
少なくとも倒れてはいないので大丈夫なはず。
そんなことすら疑わしく感じるほどに、現実味のない空間、そして時間。
多分私はちゃんとお会計を済ませてお店を後にすることができたと思うんだけど、なんとなく曖昧でならない。
 
ごちそうさまでした、と告げた直後の紳士が言った。
"またぜひいらしてください。ここは時の狭間、貴女にとって必要な時にきっと扉は開かれます。"