032 MKMM02
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ヴォイド。
この刃の名を知るに至った。
無、という意味もある不思議な言葉が、このグリムの器の名前である。
どうやって名を知ったかというと、ヴォイド自身から聞いた。
何を馬鹿な、と自分でも思う。
だがこの謎の物体は、たしかにボクに語り掛ける。
これがグリムの器か、という理解もあったかもしれないが、不思議とすんなり受け入れている。
世の中には常識だと思っていることが、視野狭窄によって知らないだけで事実ではないことがたくさんある。
研究者たる自分はまさにそういった、非現実にかなり近い立ち位置だとも感じる。
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ヴォイドのことを知るにつれ、どんどん惹きつけられた。
もちろんその稀有な在り様もそうなのだけれど、その意思、そして常軌を逸する能力。
どんな人間よりも、どんな常識よりも、下手をするとボクが取り組んできたどんな研究よりも最高に興味深い。
だから今後のボクの研究は、ヴォイドに関連するものにしかなり得ない。
ヴォイドに限らないようだが、対話し、能力を実際一部体感し、わかったグリムの器の能力の特性がいくつかある。
一つは記憶のRead/Write、つまり読み書き。
人間の記憶は元より、モノに宿る記憶ですらも読む・観ることができる。
書き込みも場合によっては可能なようだが、まだ実証はしていないし、仮に可能だとして、さすがにそれは倫理・人道に反する。
相応のやむを得ない環境や条件でも揃わない限り、さすがに手を出すことはしない。
そして、もう一つが転移。
時間軸も、物理空間においても転移する能力を個々有しているようだ。
つまり時空間転移であり、グリムの器のこういった能力を知るに至った先人たちはメルポーションと名付けたのだそうだ。
ファンタジックに一般浸透していそうなワードで表現するならば、タイムトラベルとテレポートである。
発動には個体ごとに様々条件があるようだが、十分に魅力的題材である。
ヴォイドに頼み込み、殺され掛けるところまで忌まれ、それでもグリムの器の能力の研究に力添えをいただく承諾を得た。
そして、ボクはその研究の最中に突如命を落とすことになった。
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ボクが研究していたのは時空間転移、つまりメルポーションだ。
おそらく時間と空間の転移は別々の仕組みで、この二つが融合することで実現しているのだと考えている。
多くはなんらかの記憶を媒介にするようだが、まだ納得のいく説明には至っていない。
この二種類の転移から成るメルポーションの研究はまだまだ序盤であった。
漠然と、メルポーションの研究が成功して、完成に至り、何らかの形でこの世に具現化するような結果に辿り着くことはない、という印象があった。
研究者の直感とでも言えば良いだろうか。
それほどまでに桁外れの能力である。
タイムトラベルもテレポートも、いずれか一つが成功するだけで歴史的大事件になることは間違いない。
ボクはヴォイドの魅力、能力を解明して、その存在理由や価値を知りたかった。
ただそれだけ。
だから、それ以外のことに興味はなかったし、どうでも良かった。
唯一、この感覚を曖昧とはいえ理解してくれているであろう人間が夫の水谷夕心。
彼の支援がなかったら、こんなただのわがままから成る研究を自由にさせてもらうことなどできはしない。
だから、この特別研究のためのチームを作ることには頑なに反対していたのだが、妥協せざるを得なくなった。
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