095 Epilogue of SS - 空峰秀川の終幕
気付いたら本堂の倉庫だった。
ほとんど見えないこの目にも異様な赤い光を見て、熱気も感じた。
燃えているのだ。
何が起きたか思い出す間もなく、誰かに肩を借り、その場から離れた。
その後も普段の静謐な嘉稜寺からは考えられない大賑わいで、私は何がなんだかわからぬまま、指示を受けて動いていた。
指示を出しているのはなんと妻の美奈帆だ。
長らく入院していた。
毎週病院に通って会うだけだった最愛の妻が今ここにいる。
奇跡だ。
さらにもう一人、娘の結香までもが私にあれをしろこれをしろと言う。
詳しいことはわからないが、いつの間にか帰ってきていたらしい。
当たり前のような家族が揃って家にいるという状況は、私にとってはこれ以上望むべくもない最大限の幸せであった。
どうやったらこんなことになったのか。
先代嘉稜寺の主、父・空峰秀山の後を継ぎ、住職として未熟者ながらに尽くしてきたこの20年。
私のしてきたことは無駄ではなかった。
報われたのではないだろうか。
押し寄せた珍客たちがこの大きな変化に関わっているであろうことは、最早疑うべくもないのだが、それについては落ち着いてからゆっくり確認しよう。
本堂の倉庫が燃えてしまったことをしきりに謝られたが、私からしたら対価は余るほどの幸福であったため、修繕・建て直しなどは大した問題ではない。
救急・消防のみならず、警察までが嘉稜寺を訪れた。
ドタバタと家族に囲まれて普段と異なる生活リズムに翻弄されていたが、何かの事件が起きたらしい。
そういえば忘れていたが、私も誰かに襲われたのだ。
気付いたら倉庫にいたではないか。
事情を聞かれたが、私はロクに何もわからなかった。
盲目であることも手伝い、事実とはいえ、どうやらただの被害者の一人として捉えられ、警察にとって有益な情報を得られないということをすぐに理解してもらえたらしく、すぐに解放されたし、しつこく何かを聞かれるようなこともなかった。
珍客たちは数日の滞在の後、去っていった。
まさに嵐のようだった。
撮影はどうなったのだろう。
まあ、私にはあまり関係がないことだ。
おそらく事件の解決も彼らがしてくれたのだろう。
彼らが事件の引き金になったのかとも思っていたが、もしかしたらきっかけは違ったのかもしれない。
声だけでの判断だからあまり自信はないが、最後に私のところに撮影班のモデルだった女性が来た。
盲目になってから、こんなに一度に初対面の人間と接したのは初めてだった。
一つお願いがあるのだという。
事件のキーだったという嘉稜寺・空峰家に代々伝わる鉄の千年桜。
長らく行方不明になっていたこの家宝が、事件の中で見つかった。
それを譲ってもらえないか、という頼みだった。
私は快諾した。
家宝とはいえ、私にとってこれは呪いの枝でもあった。
美奈帆が長い入院生活を送る要因の一つでもあった。
そういった諸事情も話したが、それでも構わないそうだ。
もしかすると、この鉄の千年桜から解放されることが、家族が再び集まることに繋がったのではないかという連想すらあったので、私からすると感謝の念しかない。
なんとなく嵐の後の静けさが訪れると、毎日を一人で暮らしていた、この数年の生活に戻るのだろうと思っていたが、そうではなかった。
美奈帆と結香と三人の暮らしがやってきたのだ。
信じられない。
というより、そうなって初めて私は本当に二人が帰ってきたのだと、徐々に実感できるようになってきた。
夢にまで見た、望んではいけないとまで思っていたたくさんのものが一度に手に入ってしまった。
私にはこれ以上望むものは何もない。
あとは嘉稜寺を改めて守る坊主としての生活と、今度こそ家族を守る大黒柱としての生活を、粛々と送るだけである。