035 Episode KK 03 - 灰色テンダネス
ダークグレーのスーツの男、つまり株式会社マスイノベーションの代表取締役社長は藤重という名であった。
田村と嘉稜寺を訪問するつもりではいたが、まさかこんな辺鄙な地に今や飛ぶ鳥を落とす勢いと言われる企業のトップが直々に足を運ぶとは思ってもみなかったのだ。
堅実に仕事をするタイプと自認している私だったが、社長のプロフィールまでは調べてきておらず、少し怖くなった。
一市役所員である部下の清水は優秀な男だ。
きっと私が萎縮したことにも気付いただろう。
彼には、今日の打ち合わせがどんな話になるかわからない、と伝えてある。
しかしおそらく、執拗な訪問と都市開発計画の推進から見るに嘉稜寺にも何らかの交渉事があるのは明らかだ。
わざわざ私などを連れて訪問しておいて、ただの参拝のはずがない。
しがない市議会議員の私にもそのぐらいはわかるが、内容まではわからないのも正直なところ。
とはいえ、嘉稜寺の空峰某にとって愉快な話ではないだろう。
そういう話になった時に、私はどのように判断を下したら良いのだろう。
というより、私に何らかの判断を下すだけの裁量などありはしない。
私はマスイノベーション上層部の嘉稜寺訪問の約束を取り付けたに過ぎないのだ。
…そんな話がまかり通るだろうか。
面倒な事になる可能性が高い気がする。
中立を保つべきか、それとも闇に飲まれる流れになった場合、同行させた清水に責任の所在があるような進め方をしておくか、まで頭の片隅には思い描いてしまっていた。
もちろん清水には何の否もありはしない。
わかっているのだ。
保守・保身を第一に考えているから、スケープゴートとしてもう一名同行させた自分の腹づもりなど。
我ながら嫌気が差す。
「倉持さん、どうかしましたか?」
「あ、いや、どうもしないよ。」
「なんとなく顔色が悪いような気がしますが。」
「山登りなんか普段しないからね、疲れたよ…。」
100段だか200段だか、らしいこの果てしなく長い石段を登るのに本当に疲れてしまった。
どうしてこんなことを自分がしなければいけないのかさっぱりわからない。
清水は体力などなさそうだと思っていたが若いせいか、軽々石段を登っていく。
マスイノベーションの二人も汗はかいているようだが、特に苦しそうな気配もない。
私が運動不足なだけか…。
日頃の行いを恨んだところで疲れが吹き飛ぶわけもなく。
そうこうしているうちに、石段をどうにか登りきる。
約束の時間にはまだ10分ほどある。
少し早めに着いたようだ。
良かった。
私は平凡かつ保守的な仕事しかできないが時間に遅れるのは嫌いなのだ。
やればできる「時間を守る」程度のことで失敗して相手の印象を損ねるのが無駄過ぎて、勿体なさ過ぎて嫌なだけなのであるけれど。
切れた息を整えようと、肩を上下させていると、境内の方からゆっくりと誰かが歩いてきた。
足音すらしないような、と感じはしたが、鳥のさえずりや木々の葉のこすれる音などの自然が醸し出す音で溢れている。
歩き方がそう感じさせたのだ。
私と清水、マスイノベーションの二人がいる石段を上がったばかりの場所からだいぶ離れたところでその男は立ち止まる。
「こんにちは。お約束の方々ですかな?」