Chapter 10. 混血
Chapter 10-01. 異世界
ユベレシカ、ジスカ、グリシアを主としたこの星の国々。
しかし、それは彼らが存在するこの世界の、ごく僅かな一部分でしかない。
彼らがユベレシカと呼ぶこの星自体が、広大な空間の一部なのだ。
『ユベレシカ』と言った時、それは星を表現することもあれば、大陸を表すこともあり、また国を表す場合もある。
遥か彼方、宇宙空間にはユベレシカ以外にも無数の星が存在する。
ユベレシカは、特殊な方法で他の星と繋がっていた。
アノス・プラーセ。
ユベレシカにはいくつかの時空間の渦が存在している。
それをアノス・プラーセ、通称アープと呼ぶ。
古代人の遺産なのか、自然超常現象の産物なのか、全くわかっていない。
ただ一つわかっているのは、アープを通ると別の時空間に移動することが出来る、ということだけである。
勿論星間移動の手段について、人間の興味が留まることはない。
アープのような時空間転移による星間移動が理想ではある。
広大な宇宙空間を経由することがないので、その利便性は想像するにたやすい。
しかし、技術の進化には通過点が必要だ。
何らかの乗り物を移動手段とした星間移動が、まず考えられるだろう。
現在の成し得る唯一の星間移動技術はまさにそれであった。
俗に言う『宇宙船』である。
ユベレシカにはまだその技術すらなかった。
限られた人間しかその存在を知らないアープ以外には、空飛ぶ船こそが他星に生命が存在する確証を得る手段だった。
宇宙船はユベレシカにも何度か飛来していた。
但しそれは異星の生命がユベレシカを探索するための訪問である。
過去に例外的な宇宙船の飛来があった。
星全体が震えるかと思うほどの轟音が、徐々に大きくなった。
ゴオオ、という大気を揺るがす音。
空の一点がキラッと光った。
そこに見える点が少しずつ形を明らかにしていく。
横長の楕円型に足が何本か生えたような形状の物体だった。
グリシア大陸の一部に、その楕円の物体は下り立とうとしていた。
「ともかくたまげたぁ。
空が割れるかと思うようなでっけぇ音がしただろ。
表に出てみたら、なんか降ってきやがる。
目を凝らして良く見てたんだ。
そしたら、近くの畑に落ちそうな感じだった。
畑が荒らされたらたまんねぇと思って、急いで見に行ったんだ。
したらよ、アラ不思議。
まあるいモノが畑に近づくにつれて、段々遅くなってくように見えんだ。
ほれ、今までウチュウセンなんてもんが降ってくると、地面が抉れてロクなもんでなかっただろ?
だからたまげたんだぁ。
わしの見てる前で、そのちっちぇウチュウセンがゆっくり地面に降りたんだ。
したら蓋がパカッと開いたんだな。
しばらく待ってたんだが、何も出て来ねぇ。
中に入って見てまたまたたまげたよ。
子どもがおったんじゃ」
近くの農村に住む老人が語る。
クランベル修道院の修道女、ミゼル・クランベルはそれを生真面目な顔で聞いた。
グリシア国に古くからあるこの修道院には、親を失ったり捨てられたりした子ども、つまり孤児がいた。
時にはグリシア以外からも孤児の面倒を見てほしいと依頼が来る。
それだけクランベル修道院は世界的に信頼された孤児院でもあるのだ。
何代にも渡る院の母たちの所業だ。
現代においても、大いなる母ミゼルの広い心による孤児育成は素晴らしいものであった。
親を失った子というのは、多かれ少なかれ心に闇を持つ。
大人への反発という形で表面化する子もいれば、心を閉ざす子もいる。
ミゼルはどんな子たちにも平等に接し、平等に育ててきた。
院の在り方に共感を抱いた人が安い賃金で働いてくれることもあり、貧しいながらも暖かい「家庭」を作っていた。
そんなミゼルも流石に驚いた。
ジスカやユベレシカの孤児なら慣れたものだが、まさか宇宙の孤児とは…。
一瞬たじろぎはしたが、ミゼルは快くその子どもの面倒を見ることにした。
女の子だった。
子どもには名もつけた。
孤児の中には赤子も多くおり、そういう子にはミゼルが名をつける。
彼女はしっかり言葉を話すことが出来る年齢だったが、記憶を失っていたのだ。
幼かった女の子はみるみるうちに成長していった。
失った過去の記憶を取り戻すことはなかった。
数年後、またも不思議な事件が起きた。
二人の女性がミゼルの元を訪れる。
異世界から来たという二人はミゼルの噂を聞いてやってきたのだという。
「私たちは異世界からやって来ました。
詳しく話すとちょっと難しくなっちゃうんですけど。
それで、この修道院の話を聞いてきたんです。
異世界から来たので、私たちはこの世界での歴史を持っていないんです。
だから、ここで育った孤児ということにしていただけませんか?」
なんとも妙な話ではある。
異世界だとか言われてもミゼルにはピンと来ない。
しかし不思議とこの二人が話すことに嘘はない。
そんな気がした。
一人は褐色の肌に凛々しさを感じさせるきりっとした表情の女性。
もう一人は長く伸ばした髪と優しい印象を与える色白の女性。
二人にそれぞれメウとアズサという名をつけた。
姓はクランベル。
二人の本当の名は全く違うものなのだが。
二人の女性の目的は、当時は信じられないものだった。
「私たちはこれからユベレシカに蔓延る悪魔を倒さなければいけないんです」
あまりに突拍子もない話だったが、ミゼルはやはり嘘だとは思えない。
目的が目的なだけに、二人は腕に自信があることが見受けられた。
ミゼルは一つ彼女たちに頼みごとをした。
宇宙から来た一人の子どもが、最近何者かにつけ回されている。
その子を助けてくれないか、と。
ミゼルが一旦部屋を辞すると、一人の女性を連れてきた。
するとアズサが「宇宙船から出てきた子どもっていうのは…私のことですよね?」
と言うと、にっこり笑った。
アズサが身代わりになろうというのだ。
メウとアズサは謎の少女の身代わりを引き受け、二人とも記憶を失くしたことにして、目的を果たすためにそれぞれグリシアとユベレシカに向かったのだ。
メウ・クランベルとアズサ・クランベルとして。
二人は修道院を出た。
しばらく身代わりを演じたアズサを襲う危険は全くなかった。
二人は目的遂行のために、修道院に長い間留まっているわけには行かなかった。
その後、本当に宇宙から飛来した少女は印象が変わるように、髪型や服装をなるべく変えるようにミゼルが促した。
しばらくは付け狙われている気配も消えて、平穏だった。
しかし、その平穏は長くは続かなかった。
ある日、彼女は忽然と姿を消してしまったのだ。
Chapter 10-02. 封印
「あ…」
声は出したくなかった。
抵抗すればもっと激しく襲われるから。
「今日もお前は綺麗だ」
男が言った。
男の手が、ベッドに横たわる少女の肌に触れる。
やめて…。
心の中で少女は悲痛な叫び声を上げる。
「博士!
今回の試作機についてコメントを一言お願いします!!」
マイクを突き出してきた若い男が叫ぶように言った。
博士と呼ばれた男は身じろぎもせず、もみくちゃにされながら毅然と立っている。
「今度の船は今までで最高の出来です。
必ず、衛星までたどり着くことが出来るでしょう」
努めて静かに答える。
研究所の前はマスコミ関連の人間で溢れていた。
博士と呼ばれた男は、宇宙科学技術研究所の研究者だ。
これまでにも幾度となく宇宙船を開発してきた。
今回の作品は、先ほど答えた通り、本当に会心の出来なのだ。
積み重ねた失敗から学んだことを全て凝縮することが出来た。
この男、わけあって妻はいないが、娘が一人いた。
まだ幼い。
二人暮しで、父は昼間はこうして研究に没頭しており、紳士的でもある。
娘の面倒も良く見る彼は、表向きは一般的な理想の男性であり父親と呼んでも良いかもしれなかった。
しかし夜になると、娘を犯す。
娘に、妻の面影を見ているせいかもしれない。
「一週間後に向けて、船の準備は既に整っています。
いつでも出発できます」
新作の宇宙船は出航準備を終えていた。
男の娘への暴行は日に日に強まっていた。
娘はそれが嫌で嫌で仕方なかった。
元々が優しい子であり、9歳という年齢でありながら、父が自分を良く育ててくれていることはわかっている。
それが夜の出来事を拒めないでいる原因だ。
いや、あまりに幼い頃からそうして育ってきたせいで、もうその行為自体が日常の一部になりつつあったとも言える。
だが、片親で育ってきたこともあり娘は早熟で、それが父の異常な性行であることを理解しはじめていた。
新作の宇宙船の開発が進むにつれ、その重圧と興奮からか、行為の異常性が増してきていることに、娘は耐え切れなくなってきていた。
新しい船が出発を三日後に予定した日の夜のことだった。
普段は大人しくて優しい娘が、布団の中に刃物を持ち込んでいた。
やめて欲しいんだと伝えよう。
もし聞いてくれなかったらコレを突きつけよう。
我慢と羞恥が限界に達していたための決意だった。
そして父がいつものようにやってきた。
どこをどう走ったんだろう。
家からそう離れていない研究所に娘は、いた。
手は血に濡れていた。
どこをどう走った?
それはわかりきっている。
娘は刃物を寝室に放り出し、父のカバンから探し出してきた鍵を手にしていた。
あまりの出来事の中で娘の精神は逃避の方向に動いた。
逃げよう。
絶対に誰も追って来ることが出来ない場所へ。
そう考えた挙句に辿り着いたのがここなのだ。
鍵を開け、中に入る。
船がどの部屋に置いてあるか、娘は知っていた。
何度かここを訪れては「昼間の優しい父」に中を案内してもらったことがある。
ここだ。
しばらくして、宇宙船は大空に飛び立った。
予定よりも二日半早い深夜の出来事だ。
ハッとしてサザーナはベッドから体を起こした。
ひどく汗をかいている。
両手を広げて確認する。
血などついていない。
そう、ついているはずがない。
今のは夢なのだ。
夢…?
なんだっけ…?
良く見る悪夢があるのだとわかっていても、一旦起床すると忘れてしまう。
はあはあ、と喘いでいたが、しばらくすると落ち着いた。
もう、…朝か。
私が感情をうまく表現できなくなった理由。
それが今の悪夢の中に隠れているのだ。
わかっている。
私は思い出したくないだけだ。
何があったか、心を探れば、きっとその答えを見つけ出すことが出来る。
怖い。
私が何をしたのか、知るのが怖いのだ。
自分が怖い。
今日は、しかし、何故か少し自分のことを知らなければいけない。
そんな気がした。
大きく息を吐き出し、ゆっくりと目を閉じる。
「…ーナ」
あ…。
「…ザーナ」
これは…。
お母さん。
いいえ、違うわ。
これは修道院でのお母さん。
「どうしたの?サザーナ」
ううん、どうもしないの。
何でもないの。
私は…。
私は誰なの?
本当のお母さんに会いたい。
そう、ミゼル。
院のミゼルお母さんにそんなわがままを言った。
ひどく困らせたっけ。
ミゼルお母さん…?
本当のお母さん…?
私は、…誰なの?
修道院…孤児院…。
私は何者なの!?
我慢できずに目を開ける。
思い浮かんでいた光景が全てふっと消える。
また汗をかいている。
疲れた。
私はサザーナ。
そう、今はそれでいい。
ずいぶんがんばった、今日は。
私の中に潜む闇とは、根気良く戦わなければいけないのかもしれない。
サザーナは颯爽とシャワールームに向かった。
Chapter 10-03. 悪夢の続き
現状の精神的な不安定感。
これが今私が落ち着かない原因だろう。
アピスフラウの危機に際して、自分の在り方を見つめなおす。
その状況に身を置いた時、自分が何者で、何をすべきなのかを正しく判断する必要に迫られた。
元々頭の回転が速いサザーナがそう考えるのは至極当然だった。
今朝はひどい目に遭った。
しかしこれで終わらせるわけには行かない。
私はもっときちんと自分のことを知る必要がある。
サザーナはこれまでピエルと出会ってからの記憶だけで生きてきた。
しかし、それは単に自分がそれ以前の記憶を拒んでいただけだ。
失ったわけではない。
今朝少し考えただけでも、自分がグリシアのクランベル修道院にいたことを思い出すことが出来た。
どうしてそこからピエルと出会ったのかはまだわからない。
修道院に入る以前のこともまだ受け入れられない気がする。
私は本当にアピスフラウにいるべき存在なのだろうか。
シシは昔のことを思い出していた。
「サザーナ、か…」
一人呟く。
どうやら彼女は記憶を失ったらしい。
私は視力を失った。
私と彼女は母なる星を共にしていた。
そして彼女は著名な宇宙科学技術研究の博士の娘。
私は剣術を志す一介の剣士見習い。
私と彼女は無関係であり、深い関係がある。
私は正義という名の元に悪を討つ、そんな剣士に憧れていた。
剣に打ち込み、小さな自警団で剣を振るう地位につくまでになった。
しかし自惚れのためか、自警団に入団してすぐに大きな組織を潰して名を売ろうとしたのが間違いの元。
命は取り留めたものの、両目の視力を奪われる重症を負わされた。
私は自分自身に落胆し、私を襲った悲劇と運命を呪いすらした。
自警団には戻ることが出来なくなった。
それでも自分の可能性を諦めることはできなかった。
目を失っても私は戦える。
そう信じてリハビリを続けた。
幸い、目以外に後遺症が残ることはなかった。
私は日常生活を不自由なく過ごすことが出来るまでに回復した。
剣を振るい続けた。
いつかまた自分が思うように戦えるようになることを信じて。
そして私は悟ったのだ。
視力を失っても、その他の五感が全てをカバーしてくれる。
些細な音を聞き分け、人の動きの風を感じ、ごく僅かな匂いで相手を判断する。
聴覚・嗅覚・味覚・触覚を極限まで鋭く研ぎ澄ますことで、私は強くなった。
ある日、私は自分の視力を奪った組織を再び壊滅させる機会と巡り合った。
政府警団の手を逃れ、廃屋に隠れている組織幹部を発見したのだ。
しばらく人を斬ることから離れていたが、確実に強くなっている自信があった。
私は奴等を殺ろうと直感的に決意した。
そろそろと廃屋に足を踏み入れる。
敵は…四人。
油断はしていなかったはずだった。
私は確実に四人を葬った。
しかし、私の視力を奪った男がいないことに気づいた時は遅かったのだ。
ヤツは、本当に強かった。
未熟な私が弱かっただけでなく、ヤツは本当に強く、気配を完全に絶っていた。
それに気づいたのは、背後に殺気を感じた瞬間だった。
私は迷わずヤツの首を斬りおとしたが、右肩から腹部にかけて大怪我を負った。
二度までも同じ敵に重症を負わされた。
「く、くそ…。
私としたことが…」
身体から血が噴出している。
致命傷ではないはずだが、意識が朦朧としてきた。
医者へ行かなければ…。
いくら視力を失った剣士でも、怪我をしていれば医者は診てくれるだろう。
しかし、重症を負ったシシの五感は今までになく不安定だった。
馴染みの道を歩いてるつもりが、はっと気づくとどこだかわからない。
真夜中だったこともあり、血を流して歩いていても、周りには誰もいない。
仕方なく、近くの家に助けを求めることにした。
得体の知れない何かに導かれるように、よろよろと近くの建物に近づいていく。
ノックをしたが、返事がない。
ふらっと触れたノブが何の抵抗もなく回る。
とり憑かれたようにシシは中に入っていった。
どうもここは民家じゃないようだ。
何かの施設だろうか。
覚束ない足取りで奥へと進むと、少し重い感じがする頑丈なドアに当たった。
やはり鍵はかかっていない。
ゆっくりとドアを開く。
中は広々とした空間だと感じられた。
部屋の中心に、何かがある。
近寄ってみて気がついた。
「これは…。
今世間で話題になっている新型の宇宙船じゃないのか…?
なぜここまで鍵が一つもかかっていない?」
シシは運命に引き寄せられるように中に入った。
…誰か、…いる。
女性のようだ。
いや、女性と言うより少女、か…。
倒れている。
呼吸を感じるから、死んでいるわけではない。
眠っているのか、気絶しているのか、わからないが血の匂いがする。
私が斬った者たちの匂いじゃない。
中は意外と狭かった。
シシは椅子に腰掛けた。
操縦席らしい。
操縦桿がある。
シシは操縦桿のやや下側に手を伸ばしてみた。
そこに発射スイッチがあることなど知るわけがないのに。
ピッ。
「発射まであと一分です」
機械的な声が突然低く響いた。
ゴゴゴゴ、と鈍い音がした。
どうやら天井が開いているらしい。
私は何をしてるんだ?
我に返った時には、もう運命の鎖から逃れられなくなっていた。
操縦席から転がるように落ちると、着ていた服をどうにか脱ぐ。
胸にぱっくり開いた大きな傷を少しでも止血のため、塞ぐ。
そして、ふぅ、と小さく息をつくとシシは気を失った。
「衛星着陸まであと三十分です」
相変わらずの機械的な声が響いた。
シシは何とか命を取り留めていた。
幸い出血は、宇宙船の発射後しばらくして止まっていた。
同乗していた少女はついに一度も目を覚まさなかった。
私は考えた末、船に積まれていた水を使って、自分と少女の血を洗い流した。
狭い艦内で身を潜めることが出来る場所を探す。
着陸の際に、シシは操縦席の下に潜り込んだ。
意外なほど静かに着陸すると、ハッチが自動的に開いた。
少しして、老人が入ってきた。
少女の姿を確認すると、一旦出て行く。
若い男を連れて戻ってくると、男は少女を抱き上げて老人と共に出て行った。
ある程度体力が回復していたシシは後をつけた。
五感もだいぶ戻っていた。
少女が運ばれた先が修道院だと確認すると、シシは姿を消した。
そう。
そして、ピエルと出会い、アピスフラウに所属するようになった。
その後、何年か経って、一度あの修道院へ行ってみた。
だいぶ大人の女性へと成長していた少女に会いに行ったのだ。
シシは驚いた。
彼女が一人になる時を待って、声をかけてみたはいいが、彼女は何も覚えていなかったのだ。
おかげで私は不審者扱いされてしまったが。
孤児院としても利用されているらしい例の修道院に、彼女がずっと住んでいることからもそれは想像がつかないこともないが。
私は考えた。
彼女はこちらではサザーナと呼ばれているらしい。
彼女の本当の名を私は知らない。
サザーナ・クランベル。
姓からも彼女が記憶を失ったがために、修道院で名を与えられたことがわかる。
彼女は確かに、私と宇宙船に同乗していた時、手を血に染めていた。
何かあったのは確かだろう。
そのショックで一時的に記憶を失っているだけかもしれない。
一時的に、とは言っても、もう数年経っているが。
私は彼女と失われた記憶に多少の興味を覚えた。
私がサザーナと接触した数日後、修道院に来客があった。
感じ慣れぬ気を持つ二人の女性。
修道院に住まうようだ。
そして更に翌日になると、サザーナの行動パターンで、昨日の二人の内の一人が動きはじめた。
どうやらサザーナの身代わりのつもりらしい。
馬鹿馬鹿しい。
私が不審者と思われたのが原因で、あんな身代わりを立てたのだろうか。
しかし、私とサザーナの接触の直後にあの二人が現れた。
偶然の来訪者が身代わりを請け負った、というところか。
もしくは修道院の人間が身代わりのための人間をどこかから呼んだか。
私を警戒して、身代わりを立てたのなら、たった一度しか接触していないのだ。
長期間に渡って警戒することもないだろう。
その予想は当たった。
特に変わったこともなく、日々が過ぎること一週間。
サザーナの振りをした女と、一緒に修道院を訪れた女が、ここを出て行った。
サザーナの身代わりは、下手をすればサザーナの振りをしたまま、ここを去ったのかもしれないが、もうどうでもよくなっていた。
サザーナ自身は、その日から少し雰囲気を変えてまた外出するようになった。
三日様子を見た。
やはりサザーナは記憶を失っている。
そろそろアピスフラウに戻ろうと思っているが、彼女は連れて行こう、と決めた。
夜半、シシは寝ているサザーナを抱えて、修道院を出た。
そして準備していた大きな木箱に入れる。
猿轡をかませ、後ろ手に結わいて、足もくくる。
荷としてサザーナはユベレシカ大陸へと運び込まれた。
ピエルはシシから報告を受けて、一芝居打つことにした。
木箱に監禁されたままのサザーナをピエルが、偶然を装い救出した。
サザーナは混乱していた。
記憶は更に乱れてしまったようだった。
しかし、シシの報告の通り、サザーナは不安定だが潜在的な能力は高そうだ。
ピエルはサザーナを幹部として、アピスフラウに連れ帰った。
ピエルはサザーナについて不思議に感じていたことがあった。
それは魔力。
兼ねてより研究していた魔法の力。
その潜在能力を漠然とサザーナに感じていたのだ。
シシに尋ねてみた。
「サザーナは何者なんだ?」
「わかりません」
「どういうことだ」
シシは当初、サザーナのことを潜在的な力を持った者がいる、とだけ報告した。
シシ自身のこともピエルには伝えてはいない。
アピスフラウに所属するに当たって、彼は実力で認めさせた。
「彼女が何者なのか、私もわからないのです」
嘘はついていなかった。
シシとサザーナの因果関係については触れていないものの、実際シシはサザーナのことを何も知らないのだ。
するとピエルから意外な答えが返ってきた。
「サザーナは…。
私の見立てだと、サザーナはグリシア人ではないな。
いや、下手をするとユベレシカの人間ですらないかもしれない」
「なんですって?」
「私の研究の成果だ。
彼女には血の混じりが感じられるのだよ」
心当たりがあるのかい?
そう聞かれた気がした。
「ピエル殿にはかないませんね。
心当たりが多少あります」
「ほう」
ピエルがにやっと笑った。
「数年前、グリシアに落ちた宇宙船の話をご存知ですか?」
ピエルの表情が変わった。
「まさか、シシ…。
サザーナは…」
「そのまさかです。
彼女は異星の人間でしょう」
ピエルが目を見開いた。
血の混じり。
しかしそれは異星の人間ということとは違う。
異星の人間であるということだけが論点であるのなら、当然ピエルはシシにも何らかの力を感じるはずだ。
そういう気配はなさそうだった。
そういえばサザーナの父親は、想像がついている。
あの研究者は紛れもなく、母星の人間だろう。
となると、母親が…。
サザーナの記憶は、どうやら取り戻してもらう必要がありそうだ。
シシとピエルは同じことを考えていた。