Chapter 09. 仮面の理由
Chapter 09-01. 友
私はジャニス。
二人の子をこよなく愛していると自認している。
男の子と女の子。
二人とも勿論私の子だ。
しかし二人の母は異なる。
いわゆる異母兄妹というやつか。
男の子が兄、女の子が妹だ。
二人はとても仲が良い。
これは私にとって、とてもありがたいことだ。
日々の多くの時間を、私は剣術に費やす。
二人を愛してはいるが、四六時中一緒にいることはできない。
初めの妻とは死別した。
ユウハという名の、触れたら壊れてしまいそうなほど美しく儚い女性だった。
彼女は子を産むことはできない身体だと医師に言われていた。
しかし彼女は子を宿した。
そして自身の生と引き換えに子を私に与えてくれたのだ。
その約一年後、縁あって私はレンスという女性と再び愛し合うようになった。
彼女は私の剣術の教え子である。
美しいとか可愛らしいというよりは、凛々しいと表現すべき女性だろう。
性格もさばさばとしていて気持ちがいい。
ユウハの子の誕生から二年後、レンスとの間にも新しい命を授かった。
二人の兄妹は、私とレンスの子としてすくすくと育っていった。
兄も幸い、ユウハの病弱さを遺伝として引き継ぐことはなかったらしい。
自身の鍛錬も当然大事なのだが、それだけでは暮らしていけない。
私は自分の剣術を後世に伝えるべく道場を開設した。
レンスはそれ以前から自分を慕ってくれていたのだが。
くるっとした大きな目と爽やかな印象を与えるショートの髪。
身体能力も高く、女性と思えないほど剣術は上達した。
それゆえ、当初は彼女を妻として迎えることは罪だと感じていた。
この類稀な才能を、家庭という鎖に縛り付けて、腐らせてしまいたくなかった。
亡き妻ユウハへの想いも忘れてはいなかった。
しかし、結局私は彼女との愛を選んでしまったのだ。
「よう、ジャニス。
子どもは元気か」
「やあ、相変わらずだよ」
唯一の親友。
そう呼んでも良いだろうか。
幼少の頃から事あるごとに優劣を競い、互いを高めた友。
彼はたまに道場にも顔を出してくれた。
「よし、少し休憩しよう。
三十分休んだら、打ち込み稽古だ」
私は教え子たちに指示を出すと友の元に歩み寄る。
この男とは只ならぬ縁がある。
ユウハを奪い合った。
彼女は私を選んだ。
更に、彼はレンスにも想いを寄せていた。
私はそれを知っていながら、レンスに惹かれていってしまったのだ。
申し訳ないとは思っている。
しかし感謝もしていた。
同じ女性を愛し、その結果は彼にとって、喜ばしくないものであった。
しかしこうして私との友情に変わりがない。
「いくつになったっけ?
子どもたちは」
「上が五歳、下が三歳だ。
早いものだな、年月が流れるのは…」
ふと何かを感じて、振り向いた。
一緒に歩いていたはず友の姿が、遥か後ろで立ち止まっていた。
夕日のせいで彼の顔はよく見えなかった。
「ジャニス」
離れたところからくぐもったような低い声で、私は名を呼ばれ、ぞくっとした。
「今日はお別れを言いに来たんだ」
私は道場の裏手にある家に急いだ。
「レンス!おい、レンス!
私だ。レンス!
いたら返事をしてくれ!!」
しかし、私の叫び声は虚しく響くだけだった…。
Chapter 09-02. 略奪
「二人とも、これからママが言うことをよく聞いて。
いい?絶対にここから出ちゃダメ。
何があっても声を出しちゃダメ。
わかったわね?」
ねえ、お兄ちゃん。
ママ、なんだかコワイよ…。
ホントだね…。
ボクたち何か悪いことしたっけ?
突然二人を物置に押し込んだ。
子どもたちが怒られていると感じても仕方ないほど、レンスは緊迫していた。
何かを感じたのだ。
何かとても悪い予感。
この覚えのある嫌な感じ…。
そうか。
これはあの人の。
ジャニスの友だというあの男だ。
夫ジャニスは親友だと言っていたが、私は嫌いだった。
何か不気味な印象を受けてしまう。
肌に感じるぴりぴりとした感覚。
彼が来る。
レンスの鋭い感覚は正しかった。
戸をノックするでもなく、彼は既に来ていたのである。
子どもたちをいち早く隠したのは大正解だった。
ハッと気づいた瞬間、レンスは後ろから口を塞がれた。
後ろから腕をねじ上げられ、身動きもロクに取れない。
くく、と気色の悪い笑みが響く。
どうすることもできないまま男の膝を腹に受け、レンスは気を失った。
ホッとしたのは束の間だった。
無傷の子どもたちを発見したが、二人は震えていた。
「何があった?
レンスは、…お母さんはどうしたんだい?」
ジャニスは努めて穏やかな口調で兄妹に尋ねる。
妹の方は父の姿を見て安心したのか、ぼろぼろと泣き始めた。
「あのね、お父さん」
と、兄が事の次第をジャニスにたどたどしく伝えた。
父の顔が少しいつもと違うように見えて、兄は少し怖かった。
「そうか、…わかった。
ともかくお前たちが無事で良かった。
お母さんのことはお父さんに任せるんだ」
友と妻が姿を消した。
状況から考えると、やはり彼が妻をさらったと思うしかない。
レンス…。
絶対に助けてやる。
恐怖が込み上げてくる。
そんな不安と戦いながらレンスは相手を睨んだ。
状況は最悪だ。
猿轡を噛まされ、手は後手に縛られ、腰を柱に括り付けられている。
「ご機嫌はいかがかな?」
彼が言う。
「もう我慢の限界でね。
君のご主人への憎しみに、私はもう耐えられなくなってしまった」
あくまで紳士的なのが一層恐ろしい。
レンスは身体が震えるのを抑えることができなかった。
「私とジャニス。
いつでもライバルだった。
しかし必ず最後にはヤツが勝つ。
喧嘩、学問、剣術。
ユウハだけでなく、君まで私から奪った。
私はね、レンス。
君のことを愛しているんだ」
何を言っているの?この人は。
恐怖は既に限界を通り越していた。
異常な精神状態は逆にレンスに冷静さを取り戻させていた。
「ユウハが死んだのはヤツのせいだ。
彼女は子どもを産めない身体だと知っていたくせに。
ああ、ユウハ…。
ユウハの命を食って生きながらえたガキを始末してやりたかったがな。
まあ、焦らなくてもいい。
ここまで耐えてきたんだ。
一瞬の激情で計画を水の泡にしてしまったらどうしようもない。
レンス。
君はもう私のモノなんだよ。
そうだ、そしてもう一つ、教えておいてあげよう。
私は魔力を学ぶことにしたんだ。
憎たらしいジャニスを殺すためだけに、ではないよ。
私は世界を手にする資格を有しているのだ」
レンスは黙って聞いていた。
この男は、…狂っている。
Chapter 09-03. 別離
あれから一年もの月日が経ってしまった。
レンスは見つからない。
一年…。
長すぎる。
最悪の結果を考えないわけには行かないが、今のところそういう話は耳にしない。
二人の子どももまだまだ母親に甘えたい時期だ。
レンスがいないのは辛い。
私は剣術道場を継続しながら子どもたちの世話もして、この一年を過ごしてきた。
時間を作ってはレンスを探しに行ってみるものの、何の手がかりもないのだ。
見つかるはずもない。
しかし私は決心した。
彼女を探しに行く。
不幸中の幸いか、私の父母が二人の子どもは預かってくれる。
剣術道場は指導者がなくとも、皆が私を待っていてくれると言ってくれた。
絶対にレンスを連れて、私はここに帰ってくるのだ!
レンスは深いまどろみの中にいた。
「う…」
ここは、…どこだろう。
あれ?
私は、、、何だ?
視界がぼやける。
焦点が合わない。
立っているのか、座っているのか。
身体が中に浮いているような、水中でたゆたっているような。
ゆらゆらと…ああ、なんだか気持ちがいい。
レンスの目は、凛々しさや輝きを完全に失ってしまっていた。
レンスは既に私の忠実な下僕となった。
ジャニスのヤツに彼女のこの姿を見せてやりたいくらいだ。
くく…。
レンス…。
ジャニスのようなゴミに命を奪われたユウハの分も、私が愛してあげるよ。
ベッドに横たわったレンスはなんて素敵なのだろう。
穢れた男から解放されたのだ。
生まれたままの姿で、半開きの目は死人のように、どこを見ているかわからない。
だらしなく開いた口元や鼻から時折液体が流れ落ちる。
思い出したようにビクンと腕が動いたりする。
特製の薬の効果は抜群だ。
とりあえず目的も果たした。
そろそろ美しいレンスの時間を永遠に止めてあげなくちゃいけないな。
そうだ。
そして、次はジャニスを殺す。
ヤツは邪魔だ。
しかし、ジャニスは姿を消したという。
どこへ行ったのだろうか。
困ったものだ。
ヤツの大切なものをやっと一つ奪えたというのに。
そう、もう一つ。
いや、二つか。
ヤツの血を分けた幼子たちも私が統率すべきこの世には必要ない。
その小さな子どもたちも行方不明になったという。
どういうことだ。
パパ。。。
パパもいなくなっちゃうの?
ママもパパもいないなんてイヤだ!
ね、お兄ちゃん。
お兄ちゃんもそうだよね?
うん。
ボクもイヤだよ。
でもね、お父さんはお母さんを迎えに行くんだって。
お母さんと一緒に帰ってくる、って言ってた。
だからお母さんが帰ってこられるようにボクたちはいい子にしてよう。
兄妹はジャニスの両親とは暮らしていなかった。
いつまた子どもたちが襲われるかわからない状態だと判断したからだ。
剣術道場に通うジャニスの弟子の一人が、好意で部屋を貸してくれていた。
弟子たちが交代で二人の面倒を見よう、ということになっているのだ。
これは子どもたちにとっては幸いだった。
ジャニスが家を出て、数日の後、ジャニスの両親が謎の死を遂げた…。
友の容姿や特徴を元に聞き込みをしながら、探索の旅を開始したジャニス。
彼の耳に事件の一報が入った。
「…くそ…。
なんでだ!
どうして私を狙わずに私の周囲を傷つけていく!!
必ずヤツを見つけ出してやる…」
ジャニスは友が故郷に戻っていると確信を持ち、帰路へとついた。
「やあ、ジャニス。
元気かい?」
男が言った。
「…」
ジャニスは言葉を発することが出来なかった。
至極普通の会話のように発せられた彼の言葉。
それを囲む異様な状況に、ジャニスは立ち尽くしてしまった。
赤く濡れた剣を手に彼は立っていた。
ここはジャニスの剣術道場だ。
二人の子どもは道場の隅で怯えていた。
周囲には彼に殺されたと思しき弟子たちが倒れている。
「ちょうど良かった。
今から君の大事なものをまたたくさん奪ってやろうと思ってね。
ほら、ガキどもを殺しに来たんだが、邪魔をするものだからたくさん斬ってしまった。
おかげで君の目の前でちびたちを殺れる…」
彼は、くく、と小さく笑った。
ジャニスの怒りは限界に達していた。
子どもたちが殺される前に帰って来られたのがせめてもの救いだ。
しかし、たくさんの弟子たちが自分のために命を失ってしまった…。
「許さん!!!」
一言だけかろうじて発すると、剣を抜く。
「今の興奮した君じゃ私には勝てないな。
最終的には君にも死んでもらうことになるんだけど。
でも今はまだその時期じゃない。
私の味わった悲しみや苦しみはそんなものじゃないんだ。
その程度の屈辱じゃなかったんだ。
…くく。
そうそう、今日はスペシャルゲストがいるんだ。
出ておいで」
男が声をかけると、道場にふらふらと入ってきた人間がいる。
まるで死んでいるかのようだ。
裸足で歩いている。
黒い布をまとっているが、どうやらその下は何も着ていない。
異様だった。
首をだらんと垂れて、今にも倒れそうにゆっくりと向かってきた。
「レンス!」
ジャニスは当惑した。
顔は露出していないが、すぐにわかった。
彼女だ。
あんなに変わり果ててしまって…。
何をしたと言うんだ。
かわいそうに。
なんてことだ…。
「レンスに何をしたんだ!!」
「何をした?
君のような穢れた存在から解放してやったんだよ。
子を産めないはずの愛する女に子を産ませて殺してしまうような男からね。
くくく。
なーに、ちょっとした薬を打ったんだ。
続けて服用するとイイ夢を見ることが出来るようになるらしい。
もう彼女は私と一心同体。
私の言うことなら何でも聞くよ」
言葉がなかった。
あまりの出来事に、あまりの怒りに、気が狂ってしまわないようにするだけで必死だった。
ヤツを殺してやりたいのに…。
手に力が入らない…。
あまりの悲しみに。
事態を把握できない。
「お父さん!!」
「パパ!」
呆然と立ち尽くしたジャニスに二人の子どもが声をかけた。
ハッとした時は男が剣を振りかざしていた。
シュッと言う音と共にジャニスの左腕が飛んだ。
「くっ…。
子どもたちが声をかけてくれなかったら…。
腕だけじゃ済まなかったかもしれないな…」
ジャニスは苦笑した。
こんな状況で、まさかあんな幼い我が子に助けられるとは。
何をしているんだ、私は。
妻を狂わせ、子を殺そうとした、あんなヤツを野放しには出来ない。
利き手が残ったのは運が良かったと思おう。
ジャニスは右手の剣を力強く握りなおした。
男は苛立った。
中途半端にヤツを攻撃したことで、ヤツの精神を立ち直らせてしまったか。
ちっ…。
スッと流れるような足さばきで一旦引く。
もう一度絶望の淵に落としてやるよ。
彼は呟いた。
同時に男の剣はぐったりと立ち尽くしていたレンスの腹に食い込んだ。
「あっ…」
ここは…。
どこだっけ…?
私…。
あ、ああ…、なんだかおかしい。
身体が変だ。
ふわふわと気持ちが良かったのに。
なんだか苦しい…。
あ、…れ…?
あれ、は…。
ああ…。
ジャニス…。
私の、私のかわいい子どもたち…。
そう。
そうだ。
私は…レンス。
あの子達の母親、そしてジャニスの妻だ!
苦しいのは、…これか。
腹から血が吹き出てる。
「ジャニス!」
「レンス!」
ジャニスは男の顔を大きく抉る傷をつけた。
レンスに剣が刺さった瞬間に男を斬りつけたが、間に合わなかった。
男は顔から胸、腹にかけて傷を負った。
レンスの腹から剣は抜け、その衝撃のせいか、レンスは正常な意識を取り戻したのだ。
彼女の目が輝いている。
「レンス、すまない…」
「私…私…。
ごめんね、ジャニス…。
助からないわ、この血の量じゃ。
最期に会えて良かった。
あの子たちを守ってくれてありがとう…」
「レンス、もういい。
喋るな」
ジャニスは右腕だけでレンスを抱きしめた。
レンスも最後の力を振り絞るように、ジャニスの背に回した手に力を込めた。
「ママ!ママ!」
子どもたちが飛び出してくる。
「お母さん!」
二人はこれ以上ないほど泣きじゃくりながら、レンスにすがりついた。
ジャニスはレンスを抱いたまま屈んで、二人とレンスを近づけた。
「ママはね、大丈夫」
二人の子どもにそれぞれ腕を差し伸べる。
子どもたちの柔らかい頬が涙に濡れている。
レンスの細い指がその涙を拭って、二人の頬をさする。
「トルハ…。
ジーネ…。
二人とも、…つよ…く…」
ぐったりとレンスが力尽きる。
ぐふっ、と最後に吐血した。
「お母さんっ!」
トルハと呼ばれた少年は必死に母に声をかけていた。
ジーネと呼ばれた少女は、顔を母の血に濡らしていた。
大きく目を見開き、呆然としていた。
男が突然、むくっと起き上がり子どもたちに剣を向けた。
「良かったな、レンスは永遠に眠りについた。
私の解放によって、幸せだっただろう。
子どもたちも同じ所に連れてってやるぜ」
トルハとジーネに向けて振り下ろされた剣は、ジャニスの脇腹を貫いた。
「これ以上、貴様の思うようにさせてたまるか…」
引いた男をジャニスの振った剣が捕らえた。
先ほどの傷と交差するように、男の胸に大きな傷がついた。
しかし男が引いていたため、致命傷には至らなかった。
「ジャニス…。
お前とガキどもには、必ず地獄を味わわせる。
貴様たちは私の作る新世界には邪魔だっ!
だが…。
ガキどもの妹は私と新世界を共に作っていく。
くくく…」
そう言うと男が道場を後にする。
ジャニスには男を追う力は残っていなかった。
生き残っていた弟子たちも、追おうとするジャニスを止めたのだが。
「待てっ!
ピエルッ!!」
トルハは決めた。
強くなる。
お母さんに言われた通り強くなる。
そしてさっきの男はボクが倒すんだ。
ジーネは言葉を発することが出来なくなった。
幼い子どもにはあまりに衝撃が強い出来事が続きすぎてしまったのだ。
ジャニスは突っ伏すように倒れた。
限界だった。
腕を切り落とされた部位から流出した血もかなりの量になっていた。
ジャニスは意識を失う直前、友だと信じていた男の、ピエルの言葉を思い出した。
…ガキどもの妹…?
まさか…。
意識不明の状態が続いていたはずのジャニスは忽然と姿を消した。
トルハは、剣術道場で本格的に修業を始めることにした。
父と、あの男を見つけ出す。
意外にも言葉を失ったジーネも、トルハにくっついて剣を握るようになった。
消えた父ジャニスと母の敵ピエル。
トルハとジーネは二人の行方を捜すために、強くなる。
トルハとジーネがフェリナス・スカーレインと出会うのは、この十二年後である。