Grim Saga Project

 Chapter 07. 再会

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 Chapter 07-01. ジプシー











 

 ふぅ。

 もう少しで久しぶりのサンジェベールだわ。

 

 ユマは呟いた。

 

 今の世の中平和ではあったが、娯楽は少ない。

 ああ、もう気軽に平和といえないか。

 世界を恐怖の渦に引きずり込むかのような事件が起こった。

 知らせを聞いたのはつい数日前だ。

 

 ジスカ壊滅。

 

 まだにわかには信じられない。

 ジスカと言えば、ユベレシカを毛嫌いしているという国。

 確かユベレシカの次に大きいのよね。

 

 私たちは色々な地方へ遠征して、踊りや劇などを催す。

 言ってみれば小さな劇団。

 少し前にジスカにも行って来た。

 滅多にユベレシカの人間は入国を許されないが、劇団は違った。

 ジスカの国王から招待を受けたほどだ。

 昔ながらの暮らしをしていつつも、国民は潤っていると感じたものだった。

 それが…。

 

 とにかくジスカ遠征を無事終えて、やっとユベレシカに戻ってきた。

 それが2ヶ月ほど前だろうか。

 今はユベレシカ大陸の南側をぐるっと回りながら公演を続け、やっとサンジェベールの近くまでやってきていた。

 サンジェベールは世界一の都市、ユマは楽しみだった。

 

 そういえば。

 ジスカの前に行ったグリシアも良かったなぁ。

 あそこは緑豊かな素敵な国だった。

 そうそう、グリシアのお姫様、かわいかったなぁ。

 公演の後、お話する機会があったのよね。

 

 

「お目にかかれて光栄ですわ、姫」

「そんな。
 構えた言葉遣いじゃなくて平気よ。
 それにしても貴女の踊り、素晴らしかったわ!」

「ありがとう。
 中々褒めてくれる人がいないから嬉しいわ」

 二人は屈託なく笑いあった。

 

 なんていったっけな、あのお姫様。

 え、えい…なんか難しかったのよね。

 あ、「エイスって呼んで」って言ってたな。

 

 ユマは色んなことを考えながら、馬車の中でうとうとしていた。

 

 

 

 一方のお姫様、エイス。

 ジェダボードから北東に進み、サンジェベールやや南の街まで来ていた。

 産業都市ルナユーヴ。

 ユベレシカの産業を一手に引き受ける、産業の街であった。

 ここまで特に有益な情報はなかった。

 しかしここに来る途中で「ジスカ壊滅」について聞かされた。

 

 エイスたち三人はルナユーヴの宿に到着して、一休みしていた。

「ジスカを滅ぼした化け物って…。
 やっぱり魔法と関係があるのかしらね?」

 エイスの問いにラダムが答えた。

「関係あるんじゃないかな。
 化け物が現れた噂が本当だとしたら、それは悪魔かもしれない」

「悪魔…?」

 エイスとメウが顔を見合わせる。

 悪魔。

 神と悪魔、の悪魔のことをラダムは言っているのだろうか。

「あはは。
 何言ってんだ、って顔してるぜ。
 二人とも」

「だって…」

 ラダムが更に話を続ける。

 

 召喚、という言葉を知っているかい?

 神や悪魔を呼び出すことを指す言葉なんだ。

 魔法にはこれを実現するものがある。

 召喚魔法って言うんだよ。

 …もし。

 もしも、エイスと同じように突然魔力を手に入れたものがいたとして。

 強大な魔力を手にしたとして。

 召喚魔法を手にしたとして。

 ジスカを滅ぼしたいと願ったとしたら。

 そんな風に考えるのは正しくないのかもしれないけどね。

 

 エイスとメウはじっと聞いていた。

 エイスは知らないうちに右手で左肩を覆っていた。

 悪魔を呼び出す魔法。

 なんて恐ろしい。

 

「とりあえずさ。
 サンジェベールに行って、事件のこと、もう少し詳しく聞いてみよう」

 ラダムの言葉にエイスもメウも従う。

 ちょっと間を置いて、

「ねぇ、せっかく世界一の産業都市に来たんだよ。
 ちょっと見て回らない?」

 エイスが言った。

「それいいね」

 メウも賛成。

 今まで剣一筋で生きてきたメウは、この旅で少し変わろうとしていた。

 自分が普通の女の子であることに気づいたのだ。

 三人はすぐに準備を済ませて、ルナユーヴの街に繰り出すことにした。

 

 

 

 「来(きた)る!! 劇団・深心華宮(しんしんかきゅう)」

 

 ご丁寧にふりがなを振ったポスターが至る所に貼ってある。

 エイスはすぐに思い出していた。

 数ヶ月前に出会った踊り子の少女のことを。

 ユマと名乗ったその少女をエイスは羨ましく思ったものだ。

 自分と違い、世界を旅している。

 自分と違い、踊りという技能で生きている。

 

 ラダムは一人別行動。

 流石に女性の買い物は女性同士の方が楽しいだろう。

 エイスとメウは歩きながらそのポスターに目を留めていたのだ。

「ねぇ、メウ」

「ん?」

「会いに行ってみよっか」

「誰に?」

「勿論、深心華宮に、よ」

「えっ?」

 メウは知らなかったのだ。

 劇団がグリシア公演の後、宮殿に来たことを。

 増してや、エイスが踊り子の一人と仲良くなっているなんて。

 

 

 ちょうど劇団が凱旋して来たところだった。

 10数台の馬車で、劇団員が中から手を振っている。

 ユマもその中にいた。

 馬車の中でも一番大きな馬車。

 そこに二人の女性が突然飛び込んできた!

 ユマは不思議と危険を全く感じていなかった。

 道中、危険なこともある。

 盗賊や山賊に襲われることもあり、そんな時は劇団員が自力で追い返すのだ。

 今回もユマと乗り合わせた劇団員の数人がナイフを手に構えた。

「待って!」

 ユマが叫ぶ。

 飛び込んできた女性の一人が「やあ」と手を上げた。

「あっ」

 ユマにはそれがすぐ誰だかわかったのだ。

 ナイフを手に構えた団員たちはその様子を呆然と見ていたのだった…。











 Chapter 07-02. 仲間











 

 ラダムはため息をついた。

 ここは三人が数日を過ごすために取った宿の一室。

「なんなんだ、こりゃ…」

 ラダムがそうぼやくのも仕方がないことだったと、男ならそう思うかもしれない。

 目の前にはどうやって持って帰ってきたのかというほどの荷物の山があったのだ。

「それは、何回も往復したのよ。
 宿と街を!」

 嬉しそうに邪気も無く言い放つエイス。

 ラダムは愕然としたのだった。

 女性の買い物をなめちゃいけなかった…。

 メウもにこにこしている。

 意外な一面があったんだな、この子にも。

 ラダムは苦笑するしかなかった。

 その時、コンコン、と部屋をノックする音。

 ラダムがドアを開けると入ってきたのはユマだった。

 

 

「さてっ。
 ゆっくり話ができそうね」

 ユマが口火を切った。

「ホント。
 積もりに積もった話があるんだから…」

 エイスも負けちゃいないようだ。

「で、一体どういうことなんだ?」

 ラダムが言った。

 四人の長い話が始まった。

 

 エイスはユマを完全に信頼していた。

「で、お姫様がどうしてこんなところに?」

 という問いに始まり、全てのいきさつを話した。

 メウもラダムも時々口添えをした。

 話していくうちに二人もすっかりこのユマという踊り子を気に入っていた。

 エイスに宿った不思議な力。

 その情報探し。

 ここまで何も有益な情報を得られないこと。

 サンジェベールに向かっていること。

 とにかく全てを話したのだった。

 

「なるほどね」

 ふぅ、とユマが一息ついた。

「それじゃあ、私が一つ有益な情報、とやらを提供しちゃおうかな」

 三人はきょとんとしている。

 ユマは、着ていたエキゾチックな衣装の左肩をはだけて見せた。

 

 そこには桃色の紋様があった。

 

「つまり、ユマも私と同じなのね。
 ある日突然光が自分に吸い込まれて、その後ソレが出てた」

「うん、そういうこと。
 さっきエイスの話を聞いて驚いたよ。
 まるで私の体験をそのまま話してるみたいだったから」

「ただ、色は違うんだね」

「私のはもっと濃い色よ。
 紅いの」

「ふうん」

「ユマは、その後何か変化を感じる?」

「そうねぇ。
 さっきエイスが言ったのと同じかな。
 身体に妙に力が漲るって言うのかなぁ。
 すっごく元気になった」

 ラダムがここで口を挟んだ。

「ユマ。
 君は、この件とジスカの事件、何か関係あると思うかい?」

 ユマが少し考えるように口を噤んだ。

「正直わからない。
 でも…。
 私の直感は、ある、って言ってる」

「なるほどね」

「エイス、感じない?
 光が自分と同居するようになってから感じる力が、ジスカの事件について考えた時に、共鳴するような不思議な感覚」

「…」

 エイスはまるでそれを認めたくないかのごとく、黙ってしまった。

 しかし…

「私の中の悪い心が震える。
 そんな気がするの。
 何かこれだけでは終わらないような。
 恐ろしいことがまだ起こるような。
 そして、自分に宿った力が怖くなって」

 エイスがまくし立てるように言った。

「ふぅ。
 それは…。
 サンジェベールに行けば、また少し情報も得られるだろうし。
 今は考えないことにしましょう。
 私はエイスもユマも信じる」

 メウが言った。

 少し間を置いて、またユマが口を開く。

「ねぇ。
 みんなはどれくらいルナユーヴにいるの?」

「一週間の予定だよ」

 ラダムが答える。

「じゃあ、ちょうど劇団の滞在期間と一緒だ。
 サンジェベールには一緒に行こうよ」

「賛成!」

 いち早く歓喜の声を上げたのは言うまでもなくエイスだった…。

 

 

 

 五日間の公演。

 到着翌日と出発前日を休息日としているのだ。

 最終日の公演に、エイス、メウ、ラダムの三人は招待されていた。

 演劇と踊りを主とした公演は素晴らしいものだった。

 ここまでの滞在で何の情報も得られなかった疲れを、まるで吹き飛ばすかのように晴れ晴れとした気持ちになる。

 中でもユマの踊りが一番目を引いた。

 エイスはグリシア公演も見ていたが、なぜか今回のユマの踊りには特別な思いが感じられた。

 その理由はすぐに明らかになった。

 公演も終わりに近づき、最後の幕が開くと劇団員たちが舞台に並んでいる。

「みなさんにお知らせがあります」

 劇団長らしきひげの男が切り出した。

 ユマが、つっ、と一歩前に進み出た。

「みなさん」

 客が一斉にしーんとなる。

「私は…。
 私は自分の踊りをもっと磨きたい!
 そのための修行の旅に出ようと思います。
 しばらく深心華宮を離れて、自分を磨こうと思うんです!
 少しの間、みなさんとお別れします!!」

 沈黙が続く。

 …ぱちぱち…。

 ぱらぱらと客が拍手し始めたかと思うと、ぐわっと拍手と声援の波が起こった。

 

 

「つまり、まさか」

 と、ラダムがわけのわからないことを言ってしまった。

「そ。
 つまり、そのまさかよ。
 私も一緒に行くの」

 ユマはにっこり笑った。

 ラダムは反論する気にもなれなかった。

 四人での旅になるのは、もう決まっているのだとわかったからだった。

 劇団員たちの控え室。

 ユマは劇団長に相談して決めていたのだという。

「どうして女ってのは…」

 ラダムの呟きが誰にも聞こえなかったのは幸いだった。











 Chapter 07-03. 変貌











 

 劇団を一時退団したユマ。

 それでもサンジェベールまでは一緒に行こうということになった。

 歩いて約一日。

 しかしエイスたち三人くらいなら乗れる、ということで馬車での移動。

 これは快適だった。

 初めは談笑していた三人とユマ、それに劇団員だったが、程よい揺れは眠りにつくのにも最適だった。

 しばらくすると馬車を操る団員以外は、ほとんど眠りに落ちていた。

 

 エイスはなんとなく眠れなかった。

 エイスたちが乗っている馬車は一番大きくて、馬が二頭で引いている。

 いわゆる二頭引き。

 荷台の操縦士が座る場所以外にも、外の空気を吸える空間があった。

 エイスは手すりに捕まって、空を眺めていた。

 ふっ、と息を吐く。

 日に日に増す不安感。

 ユマが自分と同じ経験をしているという事実は、正直すごくエイスを安心させた。

 世界に一人だけ自分だけおかしくなってしまったのではないか。

 そんな不安だけは解消されたのだから。

 自分の内に眠る正体不明の何か。

 その正体がわかる日は来るのだろうか。

 

 ラダムはエイスがいないことに気がついた。

 外の空気でも吸いに行ったかな。

 外へ出てみると案の定、物憂げな顔をしたエイスが立っていた。

「よっ」

 と、気軽な調子で声をかける。

 パッとエイスが振り向く。

「あ」

「どうした、一人で」

「ちょっと外の空気が吸いたくなって」

「お邪魔だったかな」

 エイスがぶんぶんと首を横に振る。

「ううん。そんなことない」

「そうか」

「不安なの」

 ラダムがエイスを見つめた。

「不安で不安で…どうにかなっちゃいそうなの」

 ぽん、とラダムがエイスの肩に手をかける。

「大丈夫。
 オレたちがついてる」

「…うん」

 エイスがラダムを見上げて、じっと目を見つめ返した。

「ラダム…」

 その時だった。

 馬車が急に止まったために、二人は慌てて手すりに捕まりなおした。

「どうした!?」

 ラダムが声を張り上げる。

 それは聞くまでもないことだった。

 辺り一面に見たこともない生き物が姿を現していたのだ。

 それも、地面からムクムクと這い出してくる。

「っ!!」

 声にならない悲鳴がエイスから発せられた。

「エイス!
 メウを起こすんだ!
 オレはヤツらをどうにかする!」

 言うが早いかラダムがサッと馬車の幌の中へ戻る。

 剣を掴むと馬車から飛び降りた。

 エイスは慌てて、メウの元へと駆け出した。

 

 一匹一匹は雑魚だ。

 しかしこれだけの量が沸いて出ると危険なのも確か。

 初めは慎重に、慣れて来たら大胆に、ラダムは辺りに現れた謎の生物を片っ端から斬っていった。

 メウは既に目覚めていた。

 馬車が急停車したことと、異様な雰囲気に気づいて、目を覚ましていたのだ。

 慌てて飛び込んできたエイスに

「外に見たことも無い化け物がたくさん」

 と、聞いてすぐに戦闘態勢を整えた。

「エイス、ここで待ってて。
 いや、違う。
 全部の馬車を回って、人を起こすのよ!」

 こくん、とエイスが頷くのを確認すると、メウが馬車を飛び出す。

 続いてエイスも二頭引きの馬車を出て、次々と後続の馬車を回る。

 既にラダムがかなりの数を倒している。

 メウは剣の他に弓も得意としている。

 幌の上に飛び乗ると、弓を構えた。

 馬車群の周囲全てに化け物がいるのを確認すると、ラダム一人では手が回らない方角の敵を次から次へと射た。

 

 幸い、三人の判断が早かったことが功を奏した。

 その後、馬車から出てきた劇団員たちも手に武器を取って戦ううちに地面から謎の生物は出てこなくなり、一通り片付いた。

 ざっと周囲を見渡すとそこには数百はあろう化け物の骸が転がっているのだった。

 

「君達のおかげで命拾いしたな…」

 でかい斧をぶん回して戦っていた劇団長が、三人の顔を見渡す。

「いや、これはマズいですよ。
 ホッとしている暇は無いかもしれない」

 ラダムが言った。

「どういうこと?」

 メウが聞く。

「余りにも常識で考えられないことが起きている。
 異様な数の謎の化け物…。
 これがもしここだけで起きたのならいい」

 周囲の者たちがハッと息をのむのがわかる。

「もしこれが街でも起きていたら…」

「ちょうどここはサンジェベールとルナユーヴの中間辺りですね?」

 ラダムが馬車を操っていた団員に確認する。

「そ、そうです」

「ルナユーヴに戻ろう。
 サンジェベールには聖騎士隊がいる。
 ルナユーヴは産業都市だ。
 戦闘人員はいないだろう」

 馬車群は急いで来た道を引き返すことになった。

 戦闘に乗り遅れたユマは一人不愉快そうな顔をしていた。











 Chapter 07-04. もう一つの出会い











 

 アネージボード。

 ユベレシカ東の港町である。

 西のジェダボードとは、ちょうど大陸を挟んで向かい側に位置する形。

 ここに時期を同じくして、二つの船が到着していた。

 

 その内の一つはジスカ・シスリスポートからの避難民を乗せた船だった。

 元々ユベレシカ・ジスカ間の貿易は閉ざされていたため、船は一艘しかなかったのだ。

 このたった一つの船が何往復もして何日もかけて、ようやくシスリスポートからの避難が完了するところだ。

 やっと最後の入港を迎えた時には、もうジスカ壊滅の情報は世界を巡っていた。

 自分たちより港の住民を先に避難させたゼルファは、ロージェを連れてこの船に乗っていた。

 ロージェの状態は相変わらず。

 ゼルファの表情は険しかった。

 

 船から次々と人が降りていく。

 ゼルファは、船が往復する内に船員に頼んでおいた車椅子にロージェを乗せた。

 ここでもやはり最後まで待ってから降りていく。

 ゼルファとはそういう男なのだった。

 船から陸地へと架けられた橋を渡っている最中、ゼルファはふと海を振り返った。

 そこには、もう一艘の船の姿があったのだ。

 

 

 

 やっとのことで、という形容が似つかわしいような小船だった。

 よくここまで渡って来た、と本当にそう思わせる小さな船。

 嵐が着たら沈没してしまうのでは、と思えた。

 当然ゼルファは急いで陸地に戻ると、その小船のことを知らせた。

 港の人間は、

「お、久しぶりに見たな。
 あれはダル=ティポの船だよ」

 と、言った。

「ダル=ティポ?」

 思わずゼルファは聞き返していた。

「そ、ダル=ティポ。
 ジスカの島の南側に諸島があるんだ。
 ちっちぇ島がいっぱいあるとこのことだよ。
 そこの一つに人が住んでる。
 そこをダル=ティポって言うんだ。
 たまに物資を分けてもらいにくるんだ」

 説明は明快でわかりやすかった。

 しかしゼルファはダル=ティポのことを聞いたことがなかった。

 

 当然と言えば当然かもしれない。

 ジスカは国交を絶っていたのだから。

 ダル=ティポがある、という諸島だったらユベレシカよりもよほどジスカの方が近い気もするが、潮の流れの都合であろうか。

 ダル=ティポはどうやら、ユベレシカと貿易していたようだ。

 貿易と呼ぶほどのものでもなさそうだが。

 

 どちらにしても、その説明は意味を成さなかった。

 小船の目的は物資ではなかったのだから。

 

 

 

 小船は港にぶつかるくらいまで身を寄せた。

 十人も乗れば限界だろうと思われる船から一人の少女が降りて来る。

 船から両親らしき男女が顔を出した。

 少女は振り向いて

「それじゃあね!
 お父さん、お母さん!」

 なんと小船はたった一人の少女を置いて、また戻っていってしまったのである。

 

 

 ゼルファは気になった。

 その少女が何者で、何をしに来たのか。

 そこまで具体的な疑念ではなかったかもしれない。

 とにかくその少女が持つ不思議な雰囲気に魅せられていたのだ。

 ロージェの乗った車椅子を押して、少女に近づく。

 

「やあ」

 ゼルファは心持ち軽い調子で少女に声をかけた。

「こんにちは」

 少女はにこやかに答えた。

「何か騒がしいようですが、どうかしたんですか?」

 少女が問いかける。

「ああ。
 僕はジスカから来たんだけどね。
 あ、ジスカはわかるかい?」

「はい」

「実は…。
 ジスカが壊滅した」

 今までにこやかにしていた少女の表情が一瞬で険しくなった。

 怯えるようですらあった。

「立ち話もなんだ。
 君、お腹空いてないかい?
 僕はぺこぺこでね」

 ゼルファは微笑んだ。

 少女のお腹がぐーっとなって、ゼルファはあははと笑ってしまった。

 フローシアと名乗った少女と、ロージェを連れたゼルファは港の店の一つへと歩いて行った。

 

 フローシアは世間知らずである。

 それもそのはず、17歳になって初めてダル=ティポを出たのだ。

 小さな世界の中では自ずとその世界のことしか知ることが出来ない。

 ゼルファと名乗った男性は信用できる人だと思った。

 それも後押しして、フローシアは自分がユベレシカに来た理由を話すことにした。

 

「…ということなの」

 じっと聞いていたゼルファは難しい顔をして頷くばかりだった。

 もしかして気を悪くしたかしら。

 フローシアは話し終えてから、少し不安になった。

「話しづらいことだったろうに。
 話してくれてありがとう」

 考えがまとまったのか、微笑を浮かべてゼルファが礼を言う。

 フローシアは安心した。

「それじゃあ、さっきの続き。
 今度は僕が知っていることを全部君に伝えないとね。
 君にも関係がありそうだ」

「え?」

 フローシアは「自分に関係がありそう」と言われた理由がわからなくて首を捻る。

 すると、ゼルファがおもむろに衣服をはだけて左肩を出した。

「あ!」

 フローシアは思わず声を上げた。

 ゼルファはすぐに衣服を整えて直す。

 店はがやがやと賑わっていたので、特に二人に気を留める者もいないようだった。

 勿論ロージェはぼんやりと車椅子に座っていたのだが。

 フローシアの左肩にある緑の宝石。

 ゼルファの左肩にも白い宝石が埋まっていたのだ。

 

 それからゼルファはやや声を潜めて、フローシアに話をした。

 ジスカが壊滅したこと。

 それに至る経緯。

 帝国学校で起きた事件やバルキト殺害事件。

 大きな化け物がジスカの全てを踏み潰したこと。

 アメリアという名の人間に仕えた悪魔を倒したこと。

 ロージェがこうなった理由。

 僅かな生存者。

 それをユベレシカに伝えて、今後を決断しようとしていること。

「ちょっと驚くことがたくさんあるかもしれないけど、落ち着いて聞いてくれ」

 と、初めに言われていたのだが、フローシアは余りにたくさんの出来事をいっぺんに聞いたせいで少し困惑してしまった。

「一気に話し過ぎたかな。
 驚かせてごめんよ」

 茫然自失の体だったフローシアは、ふと我に返ると

「ううん。
 大丈夫です。
 少し…驚いたし、色々な話をたくさん聞いてしまったから。
 ちょっと頭の中を整理したい」

「ああ、そうだね。
 慌てなくていいよ。
 ゆっくり落ち着いて考えてみてくれ」











 Chapter 07-05. 首都へ











 

 ゼルファは待った。

 こんなに小さな身体のいたいけな少女に、ちょっと刺激が強すぎただろうか?

 少し後悔もしていた。

 もう少しゆったり話してあげるべきだった。

 目を見開き、食い入るように聞いていた少女フローシア。

 考えてみれば、この子は幼い上に、小さな世界で暮らしてきたのだ。

 ユベレシカに来ただけでも相当な刺激だったはず。

 配慮が足りなかったことを改めて悔やんだ。

 

 一方のフローシアは、だいぶ落ち着いてきてはいた。

 必死に今の話を頭の中でまとめる。

 椅子に腰掛け、両手をひざの上に置く。

 目の前にある飲み物のことも忘れ、そのままの態勢でぴくりとも動かなかった。

 どれだけの時間が過ぎただろう。

 30分?

 1時間?

 わからない。

 とにかく、やっと気持ちも落ち着いてハッと気づいた時、ゼルファが同じように目の前に座っていてくれたのが嬉しかった。

 

「あ、あの…私…」

「あ、気持ちは落ち着いてきた?
 あんまり動かないから途中でちょっと心配になっちゃったよ」

 と、笑ってくれた。

 実際2時間も待ち、飲み物も3杯おかわりをして、何度もトイレにも立っていたが全く機嫌を損ねないゼルファ、器量の大きさがわかる。

「さて、それじゃあ落ち着いたようなら、ここを出よう。
 泊まるところも決まってないんだろう?」

 言われて初めてフローシアはそれに気がついた。

「ああ、でも私、森でもあればそこに…」

 ゼルファはきょとんとしてしまった。

「森か!
 なるほど。
 そういう生活をしてきたんだね、君は。
 それも悪くないけど、せっかくユベレシカまで来たんだ。
 みんながどういうところに泊まるものなのか、一緒に行って見てみないかい?」

「そうですね。
 そっかぁ。
 ダル=ティポでは木があれば暮らせるけど、ユベレシカではそうじゃないのね」

 三人は店を出て、宿へ向かった。

 ゼルファはフローシアの言葉には驚かなくなっていた。

 

 宿は豪華だった。

 ジスカ壊滅の簡単な説明は、初めに避難船に乗ったシスリスポートの人間が取り急ぎ、ユベレシカに伝えてくれていた。

 ユベレシカ王はそれを聞いて、すぐにシスリスポートの避難民が一時的に住むことができる環境を、アネージボード付近に用意した。

 ただ、ゼルファは「アクシジールに生存者を生んだ英雄」という扱いを受け、アネージボードで一番高級なホテルに部屋を与えられていた。

 ロージェが同伴なので一部屋余分に取ってもらったことが幸いした。

 ちょうどロージェの世話は、ゼルファの手に余ることもあり、それをフローシアに頼むことにしたのだ。

 フローシアは適任であり、快諾してくれた。

 ゼルファの話を全て聞いているし、何より女性だったから。

 ゼルファはそこまで計算して、フローシアに話をしたわけではなかったのだが。

 とにかくフローシアがあまりの豪華さにあたふたしてしまったのも無理はない。

 

 

 夕食もホテルで済ませて、夜のひと時。

 ゼルファはロージェとフローシアの部屋を訪れていた。

「すまないね。
 なんだかばたばたしちゃって。
 しかもロージェのことまで頼んでしまった」

「いえ。
 いいんです。
 私、こんな都会に出てきて、どうすればいいか、何もわからなかったから。
 ゼルファさんに声をかけていただいて良かった」

「そう言ってもらえると助かるよ」

 二人はやっとあれから話をする時間を持てたのだ。

 とにかく荷物の搬入、フローシアがホテルの使い方が全くわからなかったため、その説明、食事、ロージェの世話に必要なことの確認。

 夕食を終えるまで忙しかったのだ。

 

「フローシア。
 どうかな?
 落ち着いてみて、さっきの僕の話から気がついたことはある?」

「そうですね…。
 気がついたこと、ではないんだけど。
 私、ゼルファさんとロージェさんと一緒に首都まで行こうと思います」

「え?」

「ホッとしたんです。
 ゼルファさんのような方にも私と同じことが起きていて。
 失礼かもしれないけど。
 私はさっきもお話したように、魔女と呼ばれて村を追いやられました。
 もしかすると私だけが本当に魔女になってしまったんじゃないか、って。
 ユベレシカに向かう船の中ではずっとそのことで頭がいっぱいだった」

「そうか。
 僕は楽観的だから、コレについてはあんまり考えてなかったんだけどね」

 と、ゼルファは右手で左肩をぽんと叩いた。

「そういえば」

 と、ゼルファが続ける。

「ガガールを倒した時の話、覚えてるよね?」

「はい」

「その時、僕の剣が光っていたんだ。
 ちょうどこの肩の紋章と同じ白い色に」

 …。

「あの時は無我夢中だったし、とにかく生存者をジスカから逃がすことで頭がいっぱいだったから忘れてたよ」

「きっとそれは、私の力と同じモノなんじゃないでしょうか」

「うん、僕もそう思う」

 二人はやはり「魔法」なのだ、と考えた。

 伝承にしか残らない記録、魔法。

 それがどうして自分に宿ったのか。

 二人にはやはりそれがわからなかった。

 

「もう一ついいですか?」

 フローシアが切り出した。

「なんだい?」

 と、ゼルファ。

「そのガガールという悪魔は、仕えるアメリアという人のことをはっきり『人間』だと言ったんですよね」

「うん、確かにそう言った」

 と、言ってゼルファも気づいた。

 フローシアが何を言いたいか。

 

「アメリアは自分たちと同じなんじゃないか」











 Chapter 07-06. 襲来











 

 もうすぐだ。

 首都サンジェベールまでもうあと1時間もすれば着く。

 ゼルファとロージェ、それにフローシア。

 三人は鉄道に乗っていた。

 アネージボードとサンジェベール間は鉄道で移動できる。

 丸二日も乗ればサンジェベールに着く、その一歩手前まで来ていた。

「ねぇねぇ、ゼルファさん」

「うん?」

「これ見て」

 フローシアが差し出したのは路線図だった。

 ユベレシカの地図も一緒に掲載されているタイプのもの。

「この、サンジェベールの駅の手前。
 サンセチュベールってところ。
 ここで降りてみませんか?」

 

 つまり、フローシアは首都のど真ん中に直接行くのではなく、その賑わいを楽しめるように一駅前で降りて歩きたい、と言っていたのだ。

 サンジェベールとサンセチュベールの区間は歩いて30分程度の距離しか離れていない。

「いいよ。
 それくらいなら大した時間のロスにもならない。
 僕も見てみたいしね、首都がどれだけすごいのか」

「ホント!?
 やった!!」

 無邪気にはしゃぐフローシアを見て、ゼルファは微笑んだ。

 

 

 すごい…。

 人ってこんなにいっぱいいたんだ…。

 フローシアは素直にそう思った。

 それもそのはず。

 サンセチュベールからサンジェベールまでは繁華街と言っても良い大通りが続く、首都でも最も人が多い場所なのだ。

 店も多種多様。

 聞いたことも無いような料理を出す料理店。

 着たことがないような民族衣装やデザインの服を取り扱う洋服店。

 見たことがないような、というよりむしろ何に使うんだかすらわからない色々な物を置いた雑貨店。

 通りはこれでもか、というほど人であふれていた。

「ごめんなさい、ゼルファさん。
 ロージェさんの車椅子押しながらここ歩くの大変ですよね」

「いや、仕方ないさ。
 僕もまさかこれほどまでとは思わなかったよ。
 ジスカがいかに狭い世界だったか思い知らされた」

 流石にゼルファも気圧されている。

 しかし車椅子を押して歩くことくらいは出来そうだった。

「人通りが少ない場所で待ってるから、君は少し店を見てみたら?
 初めて来たんだから、女の子なんだし、うきうきしちゃうだろ」

「いえ…。
 なんか圧倒されちゃって…」

 なんて平和な話が出来ていたのはここまでだった。

 

「きゃー!」

「うわあっ!!」

 突然、様々な叫び声が通りにこだました。

 

 ゼルファたちがそこにいたのは偶然だった。

 サンセチュベールは、サンジェベールに向かう方角、つまり西側が栄えている。

 逆に東側はそれほど店が並んでいるわけではない。

 その境目がこのサンセチュベールなのだ。

 そしてサンセチュベールの東側に異変が起きたのだ。

 あちらこちらの地面が盛り上がる!

 そして出てきたのは見たこともない生き物だった。

 数え切れないほどたくさんの化け物が、みるみるうちに姿を現す。

 賑わいがそれほどでもないとはいえ、当然東にも人はいる。

 化け物は人間を襲い始めた。

 更に西側にたくさんの人間がいることに気づくと、じりじりと西側に向かって来るではないか。

 

「フローシア。ロージェを頼む!」

 ゼルファが剣を抜いて、駆け出した。

 東の人間はパニックになって逃げ出し始めていた。

 しかしそのおかげで化け物に襲われている人間は少ない。

 凄まじい速さでゼルファが次々とその人々を助けると、フローシアのそばに戻って来る。

 ゆったりと化け物たちが歩いて西に向かって来る。

 ようこそサンセチュベールへ、と大きく書かれたアーチがあり、フローシアとロージェはその下にいた。

 そこを潜り抜けると、西の大通りなのだ。

「フローシア、気をつけて。
 僕はここでヤツらを食い止める!」

「はい!」

 しかしのしのしと歩いてくる謎の生物は無数にいる。

 大通りへの侵入を防ぐのは容易ではない。

 ゼルファはアーチに近づいてきた化け物を次々に斬り始めたが、とてもじゃないが追いつかない。

 

 フローシアは車椅子を押しながら、アーチをくぐって大通りに少し入ると

「すいません。
 車椅子の人を少し見ててください」

 と、近くの通行人に押し付けると、アーチの真下に戻ってきた。

 すぅっと息を吸い込む。

 なぜか全くわからないがフローシアは、大丈夫だ、という気がしていた。

 頭に浮かんできたイメージがあった。

 障壁。

 アーチを通さないように障壁を張るんだ。

 出来る気がした。

 フローシアは右手を左手に添え、手を前に差し出した。

 左手に優しい緑色の光が灯った。

 

 

 

 一匹一匹は弱い。

 やられることはない、とゼルファは思ったが数が多すぎる。

 大通りに侵入されてしまう。

 ふと振り向くと、アーチは緑色の光に包まれていた。

 化け物たちはその光から先へと進めずにいた。

 イケる。

 これならイケる。

 光を放っているフローシアの顔が凛々しく見えた。

 

 

 

 しばらくして、フローシアの手から光が消えた。

 化け物たちも一匹残らず消えていた。

 フローシアががくっとひざをつく。

 ゼルファがフローシアの所に戻ってきて、頭をぽんぽんと叩く。

「すごいぞ、フローシア。
 よくやったね」

 疲れた顔はしていたが、フローシアのその表情は明るかった。

「私…役に立って良かった…」

 大通りでパニックになっていた人々がしばらく呆然と二人を見詰めていたが、

「うおー!」

 と言葉にならない叫び声があがった。

「すげえぞ、お嬢ちゃん!」

「剣士もカッコよかったぜ!!」

「聖騎士隊に入ってくれ!」

 とにかくこの場は落ち着いたのだ。

 

 そこへ何かがサンジェベール側から大通りを突き進んできた。

 アーチのところまで来ると

「ここも襲われたか」

 と、馬に跨った男が言った。

 彼らは聖騎士騎馬隊と名乗った。

「サンジェベールも襲われ、付近の街にも被害が起きたようだ。
 しかしここは無事で良かった」

「そこの剣士とお嬢ちゃんが街を守ってくれたんだ!」

 民衆から口々に声が上がる。

 なんだか恥ずかしくなってフローシアは俯いてしまっていた。

 

 ゼルファとフローシアはロージェを連れて、騎馬隊と共に首都に向かうこととなったのだった。