Chapter 04. 不穏
Chapter 04-01. 計画
ピエル・エオリア。
黒衣に身を包んだこの男。
キリッとした端正な顔立ちも手伝って、一見すると神父のようだ。
しかしこの男が崇めているのは、神は神でも邪なる神である。
邪なる神、それは「悪魔」とも言われる。
ピエルは悪魔との魔契約を取り交わすことで、魔法の能力である「魔力」を得ようとしていた。
この世界を統治するために必要な力。
そう考えていたためだ。
今の世がもどかしい。
ユベレシカが大陸を支配しているにも関わらず、その他の小国を配下に置く気配が全くない。
なぜ世界を統一して支配しようとしないのか。
理解できない。
私が世界を統一して、最高の世を作ってやる。
支配。
良い響きだ。
私が魔力を手にしたら、世界の全てが私の前にひれ伏すのだ。
力による統治こそが最良なのだ。
この世界のあらゆることを私の支配下に置き、意のままに操る。
ピエルは現実主義者でもある。
魔契約が完全に成立していない現状。
自分一人の力で世界統一は不可能だと十分に理解している。
新世界を作ったとしても、自分の手足となる存在は必要だとわかっている。
そのための基盤を、もう作り始めている。
「アピスフラウ」
それが新世界を支配する組織の名称だ。
現在も水面下でアピスフラウの勢力は拡大しつつあるのだ。
ユベレシカを奪い取れば、他は問題ない。
軍事力や武力に長けた国などそうない。
魔契約。
悪魔と魔法について、ピエルは調査していた。
魔力というのはそもそも人間が持ち得る能力なのだ。
その使い方を知らないだけで。
悪魔を召喚し、契約を結ぶことで、秘めた魔力を増幅させ、解放できる。
数々の知識から出した結論がこれだった。
闇を司る悪魔の召喚に成功したのは、三度目に契約に挑戦した時のことだ。
凄まじかった。
ピエルは流石にこの時ばかりは死の恐怖を覚えた。
近くの森にある小さな広場の地面に描いた魔方陣から現れた悪魔。
それは城ほどの大きさだった。
見たこともない黒い体。
頭から生えた二本の角。
悪魔は遥か頭上からピエルに呼びかけてきた。
「我を呼んだのはお前か」
この時の契約交渉は失敗に終わった。
魔力と引き換えに精神と魂を要求されたためだ。
ピエルは諦めるつもりはなかった。
どのように交渉するべきかを思案することにしたのだ。
しかし興奮冷めやらぬその夜、ピエルの望みは意外な形で実現した。
黒い光が空から降りてきて、ピエルに魔力をもたらしたのだった。
左肩の黒い紋様が宝石のような突起で形成されたのを確認した時、ピエルは笑いが止まらなくなった。
Chapter 04-02. 粛清者
裏切り者がいた。
彼はアピスフラウから身を退き、ユベレシカ王に進言しようとした。
その者は即座に処刑された。
しかし彼が、既に誰かに情報を漏らしている疑いが完全には消えない。
ピエルは偽の裏切り者を用意し、ユベレシカ王に進言させたのだ。
「ユーベル聖騎士隊隊長グラハルト・イープが国を裏切ろうとしている。
反乱軍を形成しており、その拠点が東の山脈に存在する」
王はその情報を信じた。
勿論、実際にはグラハルトは国に忠誠を誓っている。
反乱軍拠点の真の所在地は大陸北西の砦だった。
しかし問題が起きた。
どうやら裏切り者は情報を国に漏洩していなかったらしい。
その点は良かったのだが、王の指令により調査に乗り出した者たちが厄介だった。
噂に撒いた具体的な名は無視して、宮廷を調べ始めた。
拠点については調査範囲が広がると調べきれないと思ったらしい。
黒い楕円形の長机を10人が取り囲んでそれぞれ椅子に腰掛けていた。
集まっている者は皆、黒衣を身に纏っている。
ピエルは、列席者に一瞥をくれると口を開いた。
「裏切り者の件は皆も知っている通りだ。
先日念のためにデマを流したこともご存知の通り。
しかし、ちょっと厄介なことになった。
反乱分子として名指ししておいたグラハルトに絞らず、宮廷が調査を始めたのだ。
その結果、発見されそうになった同胞の一人がその調査部隊員を殺しにかかった。
しかも仕損じた。
反乱分子の存在に確信を持たせる結果になっただけでなく、我らが相当規模の組織であることまでわからせてしまったに違いない。
既にユベレシカの核にはその情報が漏れているだろう。
対策を打たねばならない」
「ピエル殿。
何かお考えがおあり、なわけですかな?」
老人、と形容できそうな男が口を挟んだ。
「いや。
それについてキミ達に意見と情報を求めるためにこの席を設けたのだ」
ピエルが言い添える。
対して、ピエルよりもいくらか若そうな男が答えた。
「ユベレシカは隠密行動を専門にした諜報部隊を編成している。
恐らく我々について調査したのは、その隊員だろう。
その隊はちょっと特殊な構成になっていてね。
隊長以外の素性を誰も知らない」
ピエルが反応を示す。
「ほう。
今その隊を潰しても解決にはならないが、今後厄介になる可能性はあるな」
髪の長い女性が答えた。
「つまり。
裏切り者の偽者だけじゃなくて、小規模な偽反乱分子を用意する。
そして、ユーベル聖騎士隊に偽分子を潰させる。
ついでに偽分子は例の調査隊を潰しておく。
これがベストね」
黒衣の者たちが一同に頷いた。
「異論はないか?」
誰も口を開くものはいない。
「では、問題は偽分子とやらをどう作るか、だな」
ピエルが言った。
また別の若い男が申し立てをする。
「うーん。
今ちっと考えてみたけど、いくらか問題あるんじゃないの?
確かに理想的な意見ではある。
だけどさ、聖騎士隊が潰せる規模の偽者クンたちは厄介な諜報部隊を潰さなきゃいけないんだろ?
結構編成難しいと思うぜ。
ところでさ、諜報部隊ってのはどの位いるんだい?」
諜報部隊について知っているらしき先ほどの男が答える。
「それはわからない」
「じゃあ余計に難しいじゃん。
下手によわっちいやられ役を用意しちまったら、諜報部隊は潰せない」
「わしゃ、目下その諜報部隊とやらはほっといても構わないと思うんじゃが。
今とりあえずやらなきゃいかんのは、わしらの存在を嗅ぎつけられないことじゃろうて。
偽者を潰させるんじゃったら、まずはそれだけやっちまえば良くはないか?」
「でも勿体無くない?
きっと偽者を突き止めるのもその諜報部隊。
そいつらを潰してから偽者はやられてお役御免ってのがいいわよ、やっぱり」
やや沈黙。
またまた更に別の男が言った。
「ちょっと待て。
水掛け論だ、それでは。
さきほど『諜報部隊を統括している隊長しか隊員を把握していない』と言っていただろう?
だったら偽分子とやらは、その隊長だけ暗殺すればいい。
さっきの話が本当なら、その隊は隊長を失えば終わりだろう」
「しかし隊長ってぐらいだから、相当腕は切れるんだろう。
そいつを暗殺するってのは至難の業じゃないのか?
しかもそれをやってのけた仲間はおさらば?
それこそ勿体ない」
ピエルが次を繋ぐ。
「よし。
まとまってきたな。
リヒター、お前のところから腕の良い暗殺屋を一人出せ。
そいつが隊長ってのを消す。
そこから小規模に構成した偽分子を割らせて消させる。
暗殺を実行するやつは足がつかないようにしてこっちに戻そう」
リヒターと呼ばれた男がそれに答える。
今まで一言も発していなかった彼がゆっくりと低い声で話し始める。
「その暗殺、オレがやろう。
こそこそ動いている今は誰も殺せないから疼いてたところだ」
ピエルが満足そうに頷いた。
「お前が直々に動くなら問題はあるまい。
よし、あとはやられ役だ」
若い男が再び口を開く。
「ピエルの旦那。
わりぃけど、この『やられ役』っての、意外と難しいんじゃないかねぇ?
死んでくれ、って言われて喜んで死ぬやつぁいねーだろ。
しかも死ぬ間際にでも寝返られたら水の泡だ。
いや、それどころか事態が悪化しちまう」
「簡単だ。
死ぬための任務だってのがわからないようにする。
寝返る間もなくやられるように仕向ければいい」
スキンヘッドで色黒の男が答えた。
「血も涙のないねぇ、ダンナ…。
でもさ、そいつぁちっと問題があるな」
若い男が言い返した。
「なんだと?」
「そんな使えねぇような連中で偽者クンを作っちまったら、諜報部隊の隊長さんをやった人間は別にいる、ってことがバレちまう」
「それは道理だな」
「ねえ、ちょっと考え方を変えましょう。
そもそも『やられ役』って決め付けなくてもいいわけよね。
さっきはとりあえずの案としてそう言ったけれど。
つまり、やられ役じゃなくても、ユベレシカのヤツらにバレてもいい役にする。
聖騎士隊が潰しに来たって跳ね除けてられればそれでもいいんじゃないの?」
女が言った。
ガタイの良い男が初めて口を聞いた。
「そういうことだったら、俺たちの隊がまるまるその役目受けてやるよ。
別に聖騎士隊の連中をぶっ殺しても構わないんだろ?
今は戦略ばっかりで頭の回転が速いおたくらしか面白くねえ時期だ。
戦闘を専門にしたオレたちにも満足行く仕事になりそうだからな。
リヒターだけ殺しを楽しむってのもなんだしな。
この仕事もらってくぜ」
「いいだろう。
これで決まりだな。
ブラッディオのチームに任せる。
ここよりもサンジェベールに近い山間にお誂え向きの砦がある。
そこを拠点として好きなように暴れて来い。
わかってるとは思うが、やられても助けることはできない」
「問題ない」
ブラッディオと呼ばれたいかつい男はニヤッと笑った。
Chapter 04-03. 闇の力
ピエルは魔力のことを、結局同胞に伝えなかった。
切り札、と考えた。
しかし気にかかっていることがある。
あの時は単純に、召喚した悪魔が私に魔力を与えたのだろう、と考えていた。
しかし冷静になって考えればそうではないと思える。
悪魔とは交渉が決裂した。
それなのに私に何の要求もせずに魔力を与えることがあるだろうか。
いや、それはないだろう。
私に寄生した黒い光。
その正体を知らなければならない気がしたのだ。
ピエルは側近を呼んだ。
「ネイファ。
調べてほしいことがある」
「何でしょう」
「魔法について」
「え?…魔法、ですか?
それについて一番お詳しいのはピエル様では?」
「いや、そうではないんだ。
今この世界に魔法の実在が確認され始めているという噂を聞いた。
その実情を調査してほしいのだ」
「魔法が実在…。
わかりました。
1ヶ月ください、刺客を世界中に派遣して調査しましょう」
「うむ。よろしく」
ネイファと入れ替わりでピエルの部屋に入った者がいた。
「お呼びですか?」
「ああ、サザーナ。
来たか。
話があるんだ、まあ座れ」
「はい」
サザーナと呼ばれた女性が大きなソファにふわっと腰掛ける。
この女性も対策会議には参加していたのだが、ピエルの隣で結局一言も発しなかった。
「サザーナ」
ピエルがおもむろに声をかけた。
「はい」
「しばらくの間、アピスフラウの指揮を任せたい」
「はい」
サザーナは躊躇うことなく答えた。
「お前は相変わらずだな」
ピエルが笑って言う。
「もう少し驚くとか戸惑ったりさせたいものだ」
「そんな。
顔に出ないだけで、十分困っております」
「理由は聞かないのか」
「ピエル様が自発的にお話にならないのであれば、あえて聞きません」
「そうか」
ピエルは少し考えた。
「お前は副指揮官に相応しいな。
少し話をしよう」
「はい」
僅かにピエルが沈黙した。
そしてサザーナの目を見ると、
「私は魔力を手に入れた」
「!」
「流石のサザーナも言葉がないか。
しかし事実だ。
闇の力が私に流れ込んで来た」
ピエルは、この余計なことを一切口にしない仲間を貴重に思っていた。
口は堅いだろうし、見かけによらずサザーナは強い。
統率力もある。
魔力を手にして、その能力を向上させるための時間を費やす間、ピエルが持っていた全権を彼女に委ねたいことを伝えた。
「魔力、とは」
珍しくサザーナが自ら口を開く。
「どういったものなんですか?」
サザーナは何を考えているのかわからないタイプの人間ではある。
それは女性特有の腹黒さを備えている、という意味も含む。
しかし、もっと広域的な意味でサザーナはおよそ感情を表に出さない。
いや、出すことが出来ない。
サザーナは至って有能な人間である。
頭も良いし、運動能力も普通の男性以上。
ただ、成長の過程で置かれていた環境が良くなかった。
美形のサザーナは父からこよなく愛された。
過剰な愛は通常の親子愛の範疇に留まらなかった。
それは肉体関係に発展し、歪んだ愛情は暴力にも及んだ。
虐待と言っても良い。
サザーナが美しく育っていった当初は母親からも虐待を受けた。
しかし、父親が狂うに従い、その結果母は逃げてしまった。
父が亡くなるまでサザーナは異常な環境で育ったのだ。
表向き、真っ当な生活をしているように見せかけたまま。
仮面の女、と呼ばれたこともあった。
何が起きても、その美しい表情には変化が見られないからだ。
そんなサザーナの有能性に目をつけたのがピエルだったのだ。
サザーナは心が揺さぶられる感覚に戸惑った。
魔法。
今現在のこの世界には実在しないという認識である未知の力。
サザーナはピエルを慕っている。
それは恋とか愛とか、そういうものではなかった。
それなのにどうして。
どうして言わなかったんだろう。
私の肩にも紋様が浮かんだのだと。
ある夜突然見えない光、という感覚が自分を包んだ。
自室のベッドで横になっていたサザーナはそのまま意識を失った。
数分後には目を覚ましたと思うのだが、異変を感じた。
それは肩の紋様でもあり、言葉にならない感覚も。
まさかそれが魔力だとは微塵も思わなかった。
私も魔法が使えるようになったのだろうか。
そして私も知りたい。
なぜこのような謎の力が私を選んだのか。
ピエルが自分を必要としてくれた二人目の人間だった。
父親は狂っていた。
父の場合、必要としていたというよりは依存していた、と言えるかもしれない。
思い出すのもおぞましい毎日の中で私は人格を失っていったのだ。
もう、父と過ごした日々はおぼろげにしか思い出すことがない。
自分で記憶を封印したいと強く願う気持ちが、当時の記憶を掘り起こすことを拒絶しているのだと、自覚している。
最近は自分の感情を意識することができるが、表現することはできない。
とにかくピエルには感謝している。
しかし見えない力が、魔力についてピエルに打ち明けることを拒んだのだ。
サザーナはピエルがネイファに依頼した内容を聞いていた。
ピエルに呼ばれて、ピエルの部屋の前まで行った時に聞いてしまったのだ。
盗み聞きをするつもりではなかったのだが、タイミングを逃した。
結局ネイファとの話が終わるまで、サザーナは立ち聞きしてしまった。
ネイファの調査の結果は、当然私にも伝わってくるだろう。
ピエルの不在中、指揮を執ることになったのだから。
サザーナは実は、反乱分子が好きではなかった。
もしかすると、サザーナがピエルに秘密を話せなかった理由の一つはそこにあるのかもしれない。
言葉は悪いが、ここは世界征服を企む者が集う場所なのだ。
野心を腹に抱えた連中ばかりなのは仕方のないこととも言える。
とりあえず今は、ピエルの代役として「アピスフラウ」の指揮をしっかり執ろう。
とりあえず、今は…。