Chapter 03. 森の住人
Chapter 03-01. 僅かに乱れた平和
ここは大陸ユベレシカから遠い名もない小さな島。
村が作れるか作れないか、という程度の島が隣接し、諸島を形作っている。
そのうちの一つの島であり、文明も他と比べるとだいぶ遅れている。
ユベレシカに住まうような都会人がここを訪れることはなかった。
それでも人はどこにでもいるものだ。
自然と共存して暮らす人間が小さな部落を形成している。
人数にして100人前後。
村に住む者たちは、村のある島や村そのものを指して「ダル=ティポ」と呼ぶ。
ダルの者たちはみな穏やかで、至って平和な生活を送っていた。
豊かな森の恵み、大いなる海の産物、小さな畑で必要な分だけ作物を作る。
時には数日かけて、村に一艘しかない船でユベレシカ大陸に出向くこともある。
大陸の物資があった方が助かる場合もあるからだ。
「ダル=ティポ」のささやかな平和に、今小さな変化が起きようとしていた。
ぼんやりとした緑色の光が村を包んだ。
夜は真っ暗だから、その異質な光は一層ダルの者たちの目を惹きつけた。
既に眠りについていた多くの者たちも起き出して、空を見上げた。
やがて空の端から闇が戻ってきた。
光が小さくなっていくのだ。
しかしその光は消えるような気配はなく、小さくなればなるほど、強烈な光を放ち始める。
これ以上ないくらい小さく、強くなった時、力が抜けたように光が落ちてきた。
そして光は、空を見上げていた一人の少女に吸い込まれて行った。
少女は名をフローシアという。
フローシアはうっすらと体が光っているのを感じていた。
それは不思議な心地良さだった。
お母さんが心配そうに私に声をかけている。
フローシアはくるりと母の方を向くと
「大丈夫よ、お母さん。なんだかとっても体が軽いの」
母も去ることながら、周囲全体から安堵のため息が漏れた。
神の光だ。
そう言ったのは誰だったか。
少し病弱だったフローシアが、光を浴びてから変わった。
元々行動力があり、活発だったのだが、見るからに更に健康になった。
病的なほど色の白かった肌が、健康的な肌色に見える。
フローシアは村でも評判の優しい娘だ。
その優しさが神のご加護を受けたのだともっぱらの噂になりつつあった。
しかし。
100人も人間がいれば、心が澄んだ者だけということはない。
数々の感情が芽生えるものだ。
嫉妬や羨望、中には憎しみも。
始めはそのような感情の灯は、ごく小さい。
色々な出来事や時間が、灯に薪をくべてしまうことがある。
どうしてあの子より具合が悪い私の娘に加護の光が降りなかったのだろう。
私の方があの子より一生懸命魚を獲っているのに。
私の方が…。
フローシアなんかより…。
Chapter 03-02. 魔女
ダル=ティポに光が降りてから数日。
フローシアは村の変化に気づいていた。
大きく分けて二通りの人がいる。
一つは今までと変わらない人々。
彼らはむしろ自分に宿った緑の光を素直に喜んでくれている。
もう一つは逆だ。
段々フローシアを避けることが増え、嫌悪感まで抱いている者もいる。
その気持ちもわからないではなかった。
フローシアはダルの人々が思っている以上の自分の変化を感じていた。
それはあれ以来肩に現れた不思議な宝石であり、…私が身につけた不思議な力だった。
「魔法」という言葉は聞いたことがあった。
今は存在しない不思議な能力で、太古の昔に存在したのだ、と言い伝えられる。
そんな言葉を持ち出さないと説明できないような現象が次々に起きるのだ。
ダル=ティポは自然と共存している。
海、森、川、空。
その全てが自分たちを見守り、時には厳しく接してくる。
中でもフローシアが一番好きなのは森だった。
独特の木の匂い。
涼しい日陰を提供してくれる大きな木と豊かな葉や実。
そこに住まう動物たち。
全てを友達のように感じていた。
今日もフローシアは森を訪れていた。
訪れる、と言っても村の目と鼻の先なのだ。
活発さに拍車がかかったフローシアは最近お気に入りの木に登る。
友達になったリスと話をする日課が大好きな時間だった。
「最近私のことを避ける人がいるんだよー。
なんか村全体がギクシャクして来ちゃったんだ。
私のせいでこんなことになるなら、あんな光なんか来なければ良かったのに。
どう思う?」
フローシアと向き合ったリスが、ちょっと考えたような素振りを見せる。
そしてぷいっとそっぽを向いてしまった。
「冷たいなぁ。
でも私の中の不思議な力は何なんだろうね。
ほら、この前も足を怪我したキツネさんとか治してあげたじゃない。
あれのことね」
再びフローシアの方に向き直ったリスが首を傾げる。
フローシアはちょっと真剣な表情になった。
「あのね。
私村を離れようかと思うんだ」
木の実をかじっていたリスがまたフローシアに向き直る。
二匹の子リスが向かいの木で遊んでいた。
空から大きな鳥が舞い降りてきて、突如、そのうちの一匹に向かう。
大きく開いた嘴を僅かに、子リスのいた枝にぶつけて、狩りに失敗。
スーッと空に戻っていった。
食べられそうになった子リスが驚いて木の枝から落ちた。
フローシアは慌てて木から下りて、落ちた子リスの元に駆け寄る。
右手を左手の手首付近に添えて、左手を子リスにかざした。
子リスは動かない。
足が折れているのも見て取れた。
先ほどまでフローシアの話し相手をしていたリスは、落ちた子リスの親なのかもしれない。
子リスの近くまで来て、落ち着きがない。
フローシアが、ふっ、と目を閉じて祈った。
淡い緑の光が子リスを包む。
光はフローシアがかざした左手から放たれたものだった。
しばらくして、フローシアが目を開けて、光が消える。
ふぅ、と息をつくフローシア。
光に包まれていた子リスは、何事もなかったかのように起き上がったのだった。
その様子を偶然見ていた者がいた。
すっかり空が紅くなった。
フローシアはリス達に「ばいばい」と告げて村に戻った。
変わってしまったと感じていた人の多くがフローシアを待ち受けていた。
「どうしたの?」
フローシアが声をかける。
誰も何も答えない。
「…魔女」
誰かが言った。
「え?」
「魔女め!」
「お前は魔女だ!」
「そうだ。見たんだ!お前の手から光が出るのを」
「お前はもう普通の人間じゃないんだ!」
「魔女!」
魔女、魔女、魔女、魔女・・・。
フローシアは呆然と立ちすくんでいたが、家に向かって歩き始める。
「逃げるのか!魔女め!」
後ろから罵声が浴びせられる。
フローシアは泣きたいのをぐっと我慢して、家までゆっくりと歩いた。
「フローシア…」
家の前に父と母がいた。
「お父さん。お母さん」
お互いにかける言葉が見つからない。
フローシアは心を決めたように、俯いていた顔を上げた。
「私、この村を出るわ」
「フローシア…」
「でも…」
わかっている。
私が悪いんじゃない。
罵声を浴びせている彼らが悪いのでもない。
父と母が何も言えないのも仕方ない。
誰も責められない。
フローシアは笑顔を作った。
「大丈夫よ。お父さん、お母さん。
私の中に飛び込んできた光が何なのか。
それをはっきりさせたら帰ってくるわ」
そうだ。
まくし立てるように言ったが、そうなのだ。
謎の光が何だったのかがわかれば、みんなも納得してくれるに違いない。
私は本当に魔女になってしまったのか。
それを知らねばならないんだ。
「フローシア。
何が起きようとお前は私たちの子だ。
旅が辛くなったら戻っておいで。
その時まだ村の人間が受け入れられないようなら、みんなで新しい村を探そう」
父が精一杯自分を励ましてくれたのが嬉しかった。
翌朝。
フローシアはユベレシカに向けて旅立った。